再び、死について

2008年01月28日 風の戯言

 真夜中にこんな題名での書き込みは自分でも些かどうかと思う。
 要は尊厳死のことなのだが・・・。
 同じようで、尊厳死と安楽死は明らかに違う。自分の意志が存在するかどうか、だと思う。
 人は全て替え難い人なのに、万物に生命があり始まりと終わりがあり、人間は100%の死亡率を誇る。早かったか遅かったかの差異はあるが、価値があったか無いかは本人の関知せざるところだ。死後、人の記憶に残るとすれば、幸いとすべきなのだろう。当方としては薄気味悪い話だが・・・。
 人間の脳と言う不可解な一物がなせる業なのだろうが、死を予定できたかどうかで、人生の晩鐘期を迎えたものにとって幸福の度合いは違う。
 突然死と言うのは本人はいいのだろうが、残されたものにはキツイ。10歳の時の父の心停止による突然の死は心から消すのに20年は掛かった。母も祖父も祖母も長患いではなかったように思う。あの頃あまりいろいろなことが同時に起きて記憶をいい加減なものにしているのだろう。人間のこの機能は凄いと思う。
 人間の終末を長患いで逝くか、ポックリ逝くか、本人も残された人も随分と考えが違うはずだ。

 自分としては65年も使えた乗り物だから大切にはしたいが、部品の交換までして乗るつもりはない。むしろ使える部品を必要としている人たちに使ってもらえれば、それはそれでいいのではないかと思う。
 もう十分に見るべきもの見たし心残りは無い。部品が壊れても修理されたら困るので、意識が無いのを条件に尊厳死を選びたいのだけれど・・・誰かやってよ。

 内臓が悪いかと医者に行ってみても、頭がおかしいからとレントゲンとって見ても、どの医者もなぁーにも無いと言う。ほんとかなぁ。
 もう10年くらい、人の邪魔をしてみるか。のんびりと、迷惑だろうが、好きなように生きるさ。背広のポケットにペンチだけは忘れないことだ、な。