咳の正体は?

2008年07月13日 風の戯言


 周期的にやってくる咳き込みを自ら臨床実験のように楽しんでいる。次第に咳き込みの後に意識不明の瞬間があるようで、現状を把握するのに1,2秒掛かるようになった。
 昨夜はお腹の大きくなった娘と3人で食事に出かけ、40日振りに紹興酒を飲み、その後一人でご無沙汰している店に2軒寄りご機嫌になって帰ろうとした瞬間、意識がなくなり倒れたらしく、現状が理解できず「何処で、何してるんだろう?」状態で助け起こされ、直ぐに自力でタクシーに乗りはしたが、何か照れ臭い帰宅になってしまった。
 社員と冗談を飛ばしている内に「最近酒を飲んでないようだから免疫力が落ちたんじゃないか」という魅惑的な解決策にホイホイと乗ってしまった自分が馬鹿だった、ナ。

 臨床実験はともかく、こんな症状にどう対処すればいいのかインターネットで調べ始めた。こんな状態で初めて知ったのだが、ビジネスの上で顧客満足は至上命題に近いのだが何とまた自己満足の世界が多いことかと、つい自分の仕事の反省をさせられた。
 自然にも人間にも余分なものはない。自分中心でなければ精神不安に陥り自滅する。だからそれはそれでいいのだが、他人の心を思いやれる精神状態ってのは自分が不安定だと出来ないのだろう。自利々他。まず自分の為、そして次に他人の為、それが同時に出来ることが理想なんだろね。

 で、咳は何のためにあるか。ただ、人を苦しめる為にあるわけではなく、体内に有害なものの侵入を阻止する為の身体という全能の神の作用なのだろう。彼らはその識別を何処でするのか、センサーを何処で働かせているのか、と考えてみると「喉」なんだね。喉に痰が絡む、多分これは外敵と防衛軍の死体の山、これがなくなると負けたか勝ったかのどちらか、だ。
 まぁ、といわけで安保徹流免疫学の極意、41度の温泉に15分以上浸かれば大抵の病原菌は死ぬ。リンパ球と顆粒球のバランスが取れて、メデタシメデタシとなるはず。信ずれば通ず。信ずれば花開く。
 午後からじょんのび村に行って来る。温泉を楽しみにするようじゃ、老けた感じだなぁ。