B型人間の悲哀
中村天風は感情と心とは別物だ。心は行動を律するシステム、だと。北京五輪のマラソンで優勝したケニアのワンジルが日本で学んだことは「忍耐」だと言ってたことで思い出した。
感情の起伏の激しいB型人間にとって、感情を制御するのは辛い。それでも年とともに「瞬間湯沸し器」は大人しくなった。単に機能が落ちただけ?・・・うーーん!
今日の読売新聞編集手帳のサッチャーがボケた記事に、かつての「鉄の女」の短い語録が紹介されていた。
「コンセンサスの旗の下で、誰が戦いに勝ったか?」
「たとえ一人になっても、私が正しければ問題は無い!」
グループ力の結集が叫ばれ、「責任をとる」と言う言葉が曖昧になった現在、俺は自裁だと考えているが、サッチャーの言葉は重い。
B型人間は、迷うのでもなく、心がフラフラするのでもなく、しがみついた激流の中の根っこが実は漂流していることに気がついたときの己ほど辛いものはない。
感情的知性とは人の心を読み取る能力でもあるのだろうが、時折「やかましい!」ことでもあるのだ。
「愛」とは条件のつかない無償の絶対的な好意。
何だか知らないが「B型人間」には悲哀が漂っている。