今日から8月
空襲の日は 1945年8月1日22;30-23:58
爆撃機の数 125機(テニアン島第313航空団)
投下爆弾量 924.3トン(各種焼夷弾163,456発)
罹災時の人口 4,508人
死者数 1,476人
罹災戸数 11,986戸
毎年8月2,3日は長岡祭で、2万発の花火が上がると言う。鎮魂の花火。長岡に幸あれ !
空襲当日、学徒動員で長岡にいた3番目の姉は宿舎だった寺の本尊を背負い、あの猛火の中を逃げ回ったと言う。
夜空を焦がす空襲による長岡炎上は南鯖石からも見え、当時村長をしていた父は非常線を突破し長岡に入り、焼け焦げた死体の顔を一人ひとり確認しわが子を探し回ったと言う。 混乱の中、二人は巡り会うこともなく、父は絶望に打ちひしがれて家に戻ったら、姉は一足先に戻ってきていたらしい。家中で抱き合って喜んだであろう、そんな光景を思い浮かべる。
毎週土曜日になると娘が娘を連れてやってくる。
子供と顔を合わせると、俺のベッドが遊び場になってしまう。逆さ吊りにされたり、布団の簀巻きにされたり、空中落下を楽しみ、もう直ぐ1歳になる子供のエネルギーに翻弄される。
何の縁か、
憶良らは今は罷らむ子泣くらむ其も彼の母も吾を待つらむそ
を思い出した。俺はこの歌が一番好きだ。
万葉集の山上憶良は70歳前後、妻と子供を思う情愛の深さは1250年の時を超えて”生”で伝わってくる。
もう一つ好きな歌 子等を思ふ歌一首
瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ
いづくより 来りしものぞ 眼交に もとなかかりて
安眠し寝なさぬ
反歌
銀(しろかね)も金(くがね)も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも
子供を安心して生め、子育ても医療体制も、教育も、老後の介護も安心して世話になれるような地域づくりが欲しい。
この子達の未来に幸多いことを祈る。
広島、長崎の原爆の日がちかずいた近づいた。核爆弾が脅しの材料になる意味が理解できないが、経済不況の激流が大陸からの難民が日本を襲う時、「日本軍」はどう処置するのだろう。国を守る決断とは、そこで銃の引き金を引くこと、なのだが。この先の確かな未来の姿が・・・まだ思い浮かばない。