カキがつく
今日届いた「文春」9月号の阿川弘之の随筆は愉快だった。司馬遼太郎が元海軍大佐正木生虎に宛てた手紙の「カキガラ」が主題。多少成功した人には虚名と言う「カキガラ」が付着し、常にそれを削ぎ落としていないと船足が鈍る、自分の人生を生きていなくなる。そんな話。
ある時阿川の三男のお客が「君のお父さんは?」、「作家です」、「あぁ、Jリーグの・・」。この話を電話で聞いて、多少カキガラを意識していた阿川が、全く自分を知らない世界があったことで「ホッとした」気分と何か口惜しそうな気持ちを落着かせようとしていた心の揺らぎが面白かった。
誇りを持って、自由に生きる為には棄てなければならぬものも多い。取捨選択のルールは気分次第なので、大抵は後で苦労する。言い訳したり、訂正したら男の生き様に傷がつく。不器用に、肩肘張って生きるいる男が好きなのだが・・。
最近、つくづくと思うことがある。ビジネスや政治やスポーツは結果次第だ。しかし、人生は結果ではない、と。むしろ結果を意識したら本当のものにならない。航行の妨げにならぬ程度のカキガラを着けながらも、意識しないで胸を張って誇らしく生きる・・・そんなのがいいのかも知れない。