故玉井先生お参り

2009年09月27日 風の戯言


 春先に亡くなられた元信州大学教授玉井袈裟男先生の松本のお宅に伺って来た。ジャカルタの山田医師、信州テレビの三浦部長など、他に当時の探検部の学生3人ほどでお参りさせて頂いた。
 俺は信州大学の卒業生では勿論無いが、自分勝手に「師匠」にした先生で、多くのことを学んだ。

 知遇を得たのは昭和60年(1985)信州大学探検部の熱気球の中国遠征の時。玉井先生が団長、小松先生が副団長で学生が15名くらい、そして参謀役として石塚と近藤。中国側にとってみれば怪しげな社会人が二人混じったので随分と考え込んだらしい。
 石家荘の解放軍飛行場で中国初フライトをした時、信州テレビの三浦君がクルーにテレビカメラを持たせたのが「約束を破った」行為になり、解放軍司令部での釈明に出頭させられた。団長はこんな修羅場は経験無く「石塚君、どうしよう?」状態。動機はどうあれ「約束違反は約束違反」。ここは速やかに謝れとアドバイス。重苦しい司令官室での謝罪は冷や汗が出たが、中日友好協会の未来も考え厳重注意で釈放。
 今考えると、妙に懐かしく、また夢の中の出来事のようで現実感が無い。でもその難局を乗り切ったことで先生との距離はぐっと縮まり、俺は勝手に「師匠]にしてしまった。

 考えてみたら、訪中後もう25年が過ぎていたのだ。

 その後主宰する「風土舎」にお伺いしたり、高柳の町興しセミナーに参加したり、伊那の岩本さんのところで偶然一緒になったり、先生の幅広い人脈と活動に驚き、憧れていた。

 写真は松本城にて、山田医師と