冬の陽光の中で

2010年01月11日 風の戯言


 久し振りに青空と温かい陽光に恵まれ、3連休の最終日は無精髭に埋れながらの腑抜けを楽しんでいた。
 傾き始めた陽を受けながら、妻に首縄を引っ張られヨタヨタ歩く姿は、多分人目にも雄雄しくは見えたのかなぁ? とビミョー。
 ヨタッタ身体にムチ打つような脅迫概念で毎日アリナミンVとニンニクの力、睡眠薬と養命酒コップ一杯を何年も続けていたら、心身ともに融け始めていた。何事にも「あんべぇ」があるもので、過ぎたるは及ばざる如し・・・いや、害の方が大きくなるのだろう。
 思い切って全てを絶って、酒だけはなんともならないが・・・少しづつもとの元気が戻ってきた。

 酒乱性人生論の真髄は「人生如何に生くべきか」の問いを「人生、どうしたらうまい酒が飲めるか」に置き換えるところから始っている。「ほどほどに酒の買える経済力」と「語りつくせぬ話の泉」と「時間を忘れて飲める友人」が大切なのだ、と。
 自宅脇の「柏崎気球会館」に泊り込んでいた4−50人の京大生達と、そんな話で盛り上がっていた人生の季節があった。
 冬の青空を眺めていると、思い出すことが多過ぎる。