梅雨入り
窓に来て嗤うは誰ぞ蛍一匹 草風
海淡く御仏参らす岬かな 草風
昨日は岬館の親爺の葬儀で些か気が滅入っていて、今日も元気が出ない。梅雨入りのせい、なのかも知れない。
遠くで雷鳴が聞こえ、ベッドに潜り込んで仕方なしに「文春」を眺めていたら、石原慎太郎と佐々敦行の対談に目が行った。あまり好きなタイプじゃ無いので読み飛ばしていたらしい。
中に、信長の「敦盛」
「人間五十年 下天の内にくらぶれば 夢幻の如くなり
一度生を受けて 滅せぬ者の有るべきか」
あまりにも有名で、自分も好きな言葉(小唄)だけれど
安吾が引用している小唄として石原が紹介しているのが
「死のふは一条、しのび草にはなにをしょぞ、
一定かたりをこすのよ」
というのがあるという。
「人が死んだ後にみんな勝手なことを言いやがるが、
死んだ人間にはバカみたいな話だ」という意味らしい。
信長と安吾らしい。
秀吉の辞世はバカ有名な
「露と落ち露と消えにし我が身かな
難波のことも夢のまた夢」
だけれど、少し作りが多いようだ。
人は生まれ、人は死ぬ。他に何があるわけでは無い。
鯖石川の堤防が、最近は最愛の散歩コースになった。
八石の山を眺め、黒姫を拝み、時により苗場が遠望出来る。
終焉の地を故郷小千谷に定めた詩人西脇順三郎が、山本山を散歩するのをこよなく愛したという話を思い出している。