ネット民主主義

2016年09月28日 風の戯言

 民主主義が揺らいでいる。
 というより、本来政治手法としての「民主主義」には疑念があった。それが今の政治に生きているのは、もっといい方法があるのだろうが、今の現実では「他に方法がない」と見られているからだ。

 民主主義が本来の理念を実現するには「人民は優秀でなければならない」。 議論が出来て、「よりよい方法」が多数決で決まった時には、皆それに従う、ということ。

 大衆は議論が出来ない。

 歴史を見れば大衆は「強いものに巻かれる」。強いものは武力であったり、大衆を扇動する力であったり、金の力であったりする。
 司馬遼太郎は「リーダーの条件は、食わせることが出来ること」だと喝破している。自分だけ肥えているのは・・・神はみんな見ている。

 「小池劇場」で変化が見えてきた。

 民衆の力を引き出すのは大衆の不満に乗り、煽るマスメディアの力と、その源泉は「ネットワーク」で集約される大衆のデーター化である。
 
 小池劇場」でデータ民主主義、ネットによる市民の要望の集積、AIによる分析と解決策の推測が進み、世の中は変わってくる。本当の「ネットワークの時代」が始まっている。

 しかし、油断してはならない。リーダーは化けるし、大衆の欲望は一夜で変わり、大衆は娯楽を求めている。そして、悲劇は最大のご馳走。