地方紙の死亡欄

2016年10月14日 風の戯言

 地域社会に根ざす地方紙の「死亡広報」欄について原稿を書き始めていたら、兄が急逝してしまった。
 
 12違いの兄は育ての親であり、親分であり、人生の師匠であり、全てだった。昭和5年の生まれ、戦後の動乱期を家族のために働き続けた一方、野球や狩猟、交通機動隊、越山会にも熱中していた。
 
 弟を本当に可愛がってくれ中学生の時に晩酌の相手をさせ、16番の単発銃を買ってくれた。調子に乗って色々なことを話したけれど、株や不動産の話をすると、「いいか、額に汗した金しか本当のお金じゃないぞ」と、そんな言葉も残してくれた。

 色々なことが思い出される。曇りガラスのようなシャッターが急に下ろされ、今も狼狽え続けている。

 柏崎日報の「死亡広報」に話を戻す。

 この欄は、不義理をしていた知人や恩人に別れの挨拶の機会を与えてくれる貴重なお知らせなのです。

 生あるものには必ず終焉の時がある。それは定めだけれど、お名前と住所と年齢を見ながら、どんな人生を送ってこられた方なのかなと思いを巡らせたりする。
 自分より高齢の方に、遠くなった戦中戦後の動乱の時期をどうやって生き延びてきたのか、一度だけでも直接聞いてみたかったなとも思う。

 誰もが思い悩み、迷い、哀しみ、そしてまた一瞬の幸福を宝物のように大切にして生きてきたのだろう。
 ただ、自分には未だに「生」というものがよく判らない。だけど、「人の死」がやたら哀しいのだ。「人生は無」とほざいて生きてきたが、歳と共に悟りも揺らぎ始めたのだろうか?

 人生は一遍の詩だという。
 
 地方紙の下段にさり気なく載っている死亡欄は、地域社会で我武者羅に生きてきた身近な人への賛歌であり、哀悼歌なのだろうと思う。