痔鎮祭

2006年01月16日 風の宿

                                          風派同盟 祭酒 石塚 修

 別に自慢するほどのことではないが、俺、痔を切った。
 術後2年近くを経過し、多少「緩み」の嫌いは残るが概して言えば快適である。鉛を背負ったような肩こりも無くなったし、褌が汚れることもなくなった。もっとも、肩こりの原因は歯の噛み合わせ不良でもあったらしいのだが・・・年の初めにケツを治し年末に歯を治療して、なにか「キセル」のような一年だった。それは兎も角、夏のゴルフ場で尻から脳天に突き抜けるような痛さもなくなったし、電車の中でよそ様に理解不能な顔の歪みを見せることもなくなった。それがケツの為になるからと、会議中に肛門括約筋の運動する秘かな楽しみも今は遠い思い出になっている。
 以下、私の拙い「闘痔記」である。食前の方は食後30分を経過してからにして欲しい。読みたければ、の話だが・・・。

 私が痔主なったのはかれこれ30年くらい前のことになる。全て歴史の始まりは妖しげな伝説と欺瞞に満ちていて、正確には何時に始まったのかは定かではない。多少の存在感から、次第に強烈な自己主張を繰り返すようになり、やがて「お痔さん」はエラクなつてしまった。イボ痔で誕生し、キレ痔に成長し、やがて痔瘻様におなりになる長い間、俺は常に邪魔者扱いし労りの声一つ掛けてやらなかったようだ。「生涯の腐れ縁」、何やら匂い立つような言葉だが痔は文字通りの(しかし、まぁ誰が考えた文字なんだろうね)死ぬまで治らない病と覚悟はしていた。一病息災と言う、まぁそれも結構じゃないか、と。

 しかし、テレビを見ながら馬鹿笑いしている私の顔が、突如夜叉に変化する。その不可解な表情の変化に疲れ果てた妻は俺の病院送りを企み始めた。支離滅裂な亭主を動かす最後の手段とばかり、行兼の兄貴に直訴に行った。会社経営をしていたら入院なんてそんなに簡単なことじゃない。あれこれ言い逃れをする弟に兄は一族の長者としての威厳でボソッと言った。「放っておくと人工肛門だぞ」。この一言は電撃的衝撃的決定的な説得力があった。その言葉の恐怖感に錯乱し、「俺のケツに真鍮のバルブが着く?」 建設業経験者として滅法にリアルなイメージが狂乱に拍車を掛け、前後のことを考える余裕もなく長岡に走った。
 
 私が「ウンチ恐怖症候群病棟」と呼ぶその病院は個人経営としては大きく、当時76歳の院長自ら陣頭指揮する「肛門科」は地域の信頼を集め、待合室はいつも患者で混み合っていた。主治医(主痔医?)の紹介状を手渡し、神妙な気持ちで診察に入った。型通りの問診と診察の後、いきなり「立派な痔だねぇ」とケツに響くような大きな声で院長は言った。思わず落ち着きを失ってしまったが、まぁ出来れば小声で話して貰いたい内容なのだ、と俺は思う。何十年も人のケツを診つづけてきた医者に「痔有党」独特の面映ゆさを忖度するよう求めちゃいけないのだろう。「おい先生、この世の中で俺様のケツ見た奴ぁ、お前ぇさんがたったの二人目だ」俺は内心で伝法な啖呵を切り、覚悟を決めた。断っておくが一人目は母親のハズだ。

 「名医」とは老先生のような人を言うのだろう。痔状を丁寧に診察し、手術の難しさを説明し、自分の人生を賭けた職業にまつわる爽やかな自慢話もしながら患者を安心させて手術台にあげる。お年を考えてかさすがに執刀はしないが、全幅の信頼を寄せた若い先生に付きっきりで手術に立ち会っている。半身麻酔で、遠くで工事しているような振動だけが伝わってくる。モニターで手術の様子を見させて欲しいと懇願したが、いくら名医でもそんなバカな患者には付き合っていられないようだった。
 手術は簡単にすんだ。しかし、本当は簡単ではないのだろう。考えてみればクソを千切る重要な役目の肛門筋にメスを入れるのだから、間違えば開き放しになる。人生の幸運と不運の分かれ目は至る所にある。
手術翌日には御飯を食べ、風呂にも入った。些か驚いたがその方が傷の治りも早いとのこと。とは言え飯を食えばウンチは出る。その出口は「生キズ」なのだから当然イタイのだ。痛いのなんのって目から涙、鼻から洟汁、口からヨダレ、トイレで何度か失神しそうになった。しかし、一歩廊下に出れば何故かお互いに目を会わさぬようにしてのそぞろ歩き。お互い背中に同病相あざ笑う視線を感じている。「ウンチ恐怖症候群病棟」はいつもそんな奇妙な明るさに包まれていた。

 除夜の鐘を病院で聞き、元日はベットで家族と新年を祝い、2日に退院した。年末年始を病院で過ごす貴重な体験だったが、時にはこんな経験も良いもんだ。何事かと見舞いに来てくれた人達も痔ネタで盛り上がり、ケツから血が出るほど笑わせておいて「おだい痔に」なんて下らぬ駄洒落で帰って行く。他の病人には申し訳ないような、笑い話のような入院ではあった。
 後日談だが、保険の見舞金が下りたけれど私の痛み料は雀の涙。悔しかったので社員全員で一晩「じょんのび村」で飲んで使い果たした。「俺のケツが稼いだ金だ、遠慮しないでやってくれ!」

 入り口と出口の差でしかないが、口はグルメを味わったり、人と話したり、また時には意外なお役も受け持つが、出口は日々クソを捻り出すだけで何の不平も言わず一生日陰者の身で甘んじている。感謝の意味もあり、傷も癒えた己が肛門をデジカメで撮ってみた。何と神秘的な、何と可愛いい、何といじらしいお姿なのだろう!

 悪友達が退院祝いを企画してくれ、名付けて「痔鎮祭」。40日振りの酒が心地よく、治りかけのケツが歓喜の悲鳴をあげていた。

 健康は何にも勝る宝です。向寒の折、御痔愛下さりませ。