夏坊主
子供の頃は簡単に海に行けなかった。
自転車は無いし、バスは人の乗り物であり、海がどこにあるか知らなかった。山の上に上がれば箱庭のような街が見え、その先に青い海があった。
だから夏休みの臨海学校は、場所は番神海岸で、花火は岬館の坂で見た。興奮し自己制御できなくなった自分は全く別人になってしまっていた。そんなことが多々あった。
中学校に入ったら、多少知恵も発達してき、バンガロー村に城を据え水族館や量たちをあおって何かやろうとしていた。人間思ったことを突き進めば必ず道は開かれる。今も小名譲菜幼児性の中にいる。遠い、遠い、涙が滲んで見えなくなるように遠い 去りし青春時代
八国峠からは柏崎の町並みと海が見える。
大きな夕陽が米山の脇に沈んでゆく。
空一面の夕焼けと明日の幸運を約束している。