般若心経

2006年10月01日 風の戯言


 秋は本を読むのが楽しい。
 と言っても、活字の上を目が滑っているだけなのだが・・

 「マオ」を読み進むうち気分が滅入ってきて、あの本は中断した。中国の現代史の凄さ、と言うか彼の国がやっと辿り着いた現在の喜びをもっと知るべきなのだろう。
 今も混沌の中ではあるだろうが、中国の長い歴史から見れば、現代中国の建国の苦しみから見れば、今は夢のような時代、なのかも知れない、と思った。

 今は玄侑宗久の「般若心経」を読み出している。
 仏教と言う宗教を哲学と自然科学の視点で解説してくれると俺にも理解できそうだ。
 西洋から出発した自然科学による合理性は限界に来ているように思う。自然科学で説明できないものを無視し続ければ未知なるものは全て怪しげなものになる。言葉を用いた理知的な解釈はバーチャルなものでしかなく、体験的に感ずる全体性はリアリティを持って人と共感できる。
 コンピューター社会はリアリティが欠如し、バーチャルの世界から出ることをしなければ、常に自分が絶対的に正しく、他者は異教徒であり存在しないものにしなくてはならないようになる。

 人間は刻々と移り変わる存在であり、理知的な理解をした瞬間に別の存在になっている。人に六道があり全体像は計り知れない。
 経営的に見れば、人を一つの評価で語ることは難しい。全体的な人の素晴らしさと可能性を持つと信じるべきなのだろう。
 「移動が人間を利口にする」
 他の本にそんなことが書いてあった。移動時間が人間に深く物事を考えさせる契機になる、と言う指摘は当たっている。2地域居住が生む活力も大切にすべきだと。

 写真は新潟産業大学学生のウイハンさん。中国で既に医師免許を持っているが、来年は東大の医学部に進みたい由。夢を持った人というのは魅力的ですね。