ダモクレスの剣
海外の動乱や地震や洪水のニュースを聞いていると、今、この地でノンビリと生かさせて貰っている幸運を本当に「有り難い」としみじみと思う。
アメリカの大統領選挙を障子の隙間から見ていると、民主主義、資本主義というマジックの化けの皮がはげた、いや、ネタバレしてしまった感が強い。「小池劇場」もそうなのだろう。
人を豊かにするシステム、資本主義の下で収入格差が広がっている。ホセ・ムヒカ、バニー・サンダース、未来を予言する人達もいる。もう一度社会主義を考え直す時代になってきているのだろう。
地球というシステムにも、人間社会というシステムに大きな亀裂が入ってしまった時代なのかなとも思う。
ケネディが「核というダモクレスの剣の下で暮らしている。事故か誤算か狂気により、何時切れても不思議はない」
未完
産業の糧 ? 核
武器商人
餌と食事
庭が白くなった。
10センチくらいの積雪があり、冬の臭いがしてきた。
まだ雪が重いから凍てつくような寒さにはならない。
「酒乱性人生論」で、動物で酒を飲むのは人間だけだから、酒を飲まないのは人間じゃない・・・嘯いている。
最近になって「餌と食事」を考えるようになった。
動物は、昆虫もそうか?・・・、生きるためには「食わねばならぬ」。だから生きるために食うのが「餌」で、人間が食う「餌」は、出来れば「食事」と言いたい。
美味しいモノを蘊蓄傾けながら食べるのは楽しい。いろいろな場面で必ず「食事」が出てくるのは、出された共通の料理を一緒に食べ、「美味しいですね」なんて抜かしながらコミュニケーションを深める企みがあるからだろう。
家庭でも食事の時間は話に花が咲くのだけれど、賞味期限の蹴れた家庭には「餌」があるだけになる。
「徹子の部屋」で野間ヒロシが子供の頃、家庭が壊れ貧乏だったので公園の草を食べていた、ナンテ話が出ていた。
空腹な子供達、ってのは考えたくない。彼らにも「餌」でなく「食事」を振る舞ってやれる家庭と社会であって欲しい。