死について
せっっちゃんが逝って7ケ月が過ぎた。
時々、隣の部屋から俺を呼ぶ物音がする。
彼女の部屋ベッドで、ウトウトしていると「おとうさん」と呼び掛けてくる。
「死」について、改めて考え直している。
身体はそこに有っても、魂が逝ってしまうと「亡骸」になってしまってしまう。
365日×52年、一緒に暮らしてきた女房が「いなくなる」現実に戸惑っている。
その「戸惑い」から人は故人を弔い残された身の寂しさを風にしてきたのだろう。
古来、人は食べる事がやっとの時代でも石を刻み、その前で慟哭してきた。
その慟哭から、人間は他の動物とは違う「文化」を持ってきたのかも知れない。
写真は笠島の丘から。
海は青く、そして地球は丸みを帯びていた。
話は別だが、トランプ、むかつく!
「ラーゲリより愛をこめて」
「春が来た」振りをし乍ら、なんか遠ざかっている雰囲気。
雨に白いものが混じり、意気消沈させている。
だけど、明日で3月は終わり、4月が来る。
ガマン、ガマン!
我慢できないのが「トランプ」
もともと「花札」でしかない筈なのに、八百長はやる、脅しはやる、アメリカはもはや自由の国でも希望の国でもなくなった。
ロシアのプーチンの方が、元スパイだから解り易い。嫌いだけど。
「ロシアより愛をこめて」を思い出し、探しているうちに「ラーゲリより愛をこめて」にあたり、観始めた。
シベリア抑留では約57万5千人の日本人が捕虜になり、5万8千人が死亡とされ、
アメリカの調査では、確認済み死亡者は25万4千人、行方不明や推定死亡者を含めると約34万人という。
人間が生きて行くために「ロシア」もありかも知れない。
だけど、心が凍る。
俺は嫌だ。
写真は3月28日の「じょんのび村」、温かかった翌日、靄が凄い。
「じょんのび」から少し先の「荻ノ島」集落-門出の間で道路が崩れ通行止めになった。
遠回りで孤立はしないけれど、通学や日常生活では不便を強いられる。