心なしか日が長くなったような気がして、カレンダーを見たら今日は12月22日 冬至。
静かな夜。
シベリウスを聴きながら爪を研いでいる。
ローソクの灯りが不気味な静かな夜だ。
今夜もニニ・ロッソに浸っている。 「ゴンドラの唄」が迫ってくる。
古い日本に唄には、長く歌い継がれた日本の唄には何故か悲しい調べが漂う。 生きていれば、誰だって1度や2度死を思い詰めたことはあるだろう。 そんな絶望の中からフラフラと生き延びてきた苦い思い出が這い上がってくる。 だから、そんなに簡単に死ねないんだ。
薄っぺらな紙のような今の歌には馴染めない。
あぁ、森繫の歌が聴きたいな。 知床旅情、琵琶湖周航の歌、そしてゴンドラの唄。
ニニ・ロッソのトラッペットを聴いていると 最後に「海行かば」が流れる。 準軍歌で、魂の底に触れるようなこの曲が好きだ。
海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ かへり見はせじ
大伴家持の歌からとられているという。 知らなんだ。
川島博之「戸籍アパルトヘイト国家 中国の崩壊」を読み直している。 2017年の本だから少し古いが、「旬」を過ぎた本は意外と面白い。 著者の理論と観察眼が、現在に合わせて確認できるからだ。
13億人の内、歳戸籍を持つもの4億人、農民工(国内奴隷?)3億人、農民6億人。 分断された国民を纏める共産党の苦悩と冷酷さが浮かび上がってくる。
裏切り者と反対者は殺す。 馬賊の掟が生きている。 これが判らないと、中国は理解でき無さそうだ。
写真は今日の朝。 雪の晴れ間に苗場が大きく見えた。