雨燦燦と大地に浸みて
恵みの雨が鯖石を濡らしている。
7月は0.5ミリしか降らなかったという乾いた大地に浸み込んでいる。
長い習慣で、鯖石川の流れる水の量や色を見ているとお天気が読める。
土方時代、お天気は職業左右し、特に雨は今日の仕事に直結していた。
一日雨量が40m/mを超えるとづなるか、何を準備しなくちゃならないか。
災害は自然を舐めたら、完全にやられる。
自宅を建てる時に、真っ先に選んだのは子供を放牧できる環境だった。
仕事と遊びが楽しくて、子供を放し飼いに出来る場所選びを優先した。
そして
洪水の心配が無い事。
土砂崩れの危険が無い事。
交通事故の心配が無い事。
保育所が近い事。
学校は尚の事。
農協が近い事。
雪が降っても除雪が出来る事。
酔っぱらって奇声を上げても隣から怒鳴られない距離確保。
将来、屋敷を拡げたいときに隣接地を強奪出来る事。
女房が畑を楽しめる事。
等々・・・。
交通信号もない事が大事な要件だった。
だって、俺が来るまで走っているのに「止まれ!」とは何事か!
まだあった。
店が近い事。
床屋が近い事。
医者が近い事。
お寺が近い事。
駐在所も隣から越してきた。
郵便局が無かったから、隣の与板から越して来て貰った。
何か文句あっか?
長崎 80年
ガードレールの支柱の上で、アマガエルが落ち込んでいた。
俺は何してるんだ?
カエルとは一体何なんだ?
俺はどう生きたらいいんだ? エツ ?
考えれば考えるほど、落ち込んでしまう・・・。
長崎に虐殺用原子爆弾が落とされて80年。
原爆による死者は7万4千人、重軽傷者は7万5千人、約14万9千人が被害を受けたという。
悲しむべきは続き、その被爆者が差別を受け続けた、と言う事。
ヒバクシャ と言う言葉の重さがやっと少し解った様な気がする。
「一億総玉砕」を叫んだ戦争指導者たち、日本の犠牲者は310万人と言うけど
「ヒバクシャ」は含まれるのか、何処までの「数」か分からない。
死者数は世界全体で約5,000万~8,000万人、うち飢餓や病気による死者が1,300万~2,000万人という。
意地、みたいなものの行き着く先はそこなのかい?
そして80年。