小さなスズメの物語

2018年07月03日 風の戯言

 生来の偏屈が高齢化と共に制御不能に陥ってしまっている。

 誰も遊んでくれる仲間もなく、今はもう「引きこもり」状態。本も新聞もテレビも雑誌にも面会謝絶されている。
 出来るだけ人に会わない道を散歩、いや徘徊し風に向かってブツブツ呪文を唱えていると、こりゃ「偏屈」でなくいよいよ本物が来たかなと思ったりする。
 退屈する時間が持てない自分にとって手近な芝刈りは腰に来る。性格や知力だけでなく、「元土方様」の体力も制御不能になっている。
 やんなっちゃうね。

 そこで遊び相手に指名したのは「スズメさん達」。
 しかし、これが本当の「片思い」。少しづつ餌付けをし、振り向いてくれるのをじれったいくらい待ち続けている。
 部屋の中から、恋人を遠くから見詰めているように、身動きせず、目を細め、ズドサン(お地蔵さん。鯖石弁?) のように身動きしないで見ているけれど、目が合った途端で逃げ去る。
 片貝の野鳥の会の師匠にぼやいたら「石塚さんの顔見て逃げるのはスズメだけじゃねぇこて」ときた。なんてこった !

 第二次世界大戦中のロンドンで足と翼に障害をもった1羽のスズメと老婦人の13年にわたる物語がある。「ある小さなスズメの記録」人を慰め、愛し、叱った、誇り高きクレランスの生涯と副題にある。
 野鳥は障害があり成鳥に慣れないと危惧した子供を巣から捨てる。自立して生きるための哀しさなんだろう。
 足下に落ちていた「その子」と心を通わせた物語なんだけど・・・あったかい !

 なんでこんな本を買って置いたのか「記憶」にもございませんが・・・。

 家のスズメたちは最初「デブリ」と名付けたノロイ1羽だけだったが親戚にも声を掛けたのか最近は10羽くらいになった。
 観察していると口移しで餌を貰っている。餌を与えるのは特定の親だけらしく、他のスズメの近くに寄ると突っつきかえされる。
 なんと可愛い奴らなんだろう !

 鳥や虫の脳には生きる為の知恵や愛が詰まっている。
 非力の者は外敵から身を守るために兎に角「逃げる」。なんという賢さ !

 落ちたクルミを巡ってカラスと喧嘩になったことがあるが、あんな奴も必死になってかかってこられるとチョット怖い。
 「テメェ、俺様のことを知らんのか」と啖呵を切ったら逃げていった。「バカな人間を相手にはしてられねぇ」と捨て台詞を吐いたように聞こえた。

 腹の黒いカラスは嫌いだ。

寝ぼけているな ! 市議会議員先生

2018年06月28日 風の戯言

NHK大河ドラマ「西郷どん」に夢中になっている。

幕末期の主役は坂本龍馬であり、西郷や桂は脇役でしかなかった。司馬遼太郎「竜馬がゆく」の世界に染みこんでいたのだろう。
アジア諸国が西欧列強に植民地化されて行く中で、尊皇攘夷を掲げ我が国の自主独立を目指して藻掻き、文字通り生命を懸けていった当時の若者達の熱気が伝わってくる。鈴木亮平の熱演に引きずり込まれ、手に汗を握り、時には涙ぐみながら見ている。いい歳こいてなんてこった。

幕末の「志士」達は日本の自主自立を模索し、西欧列強の力を借りる愚をしなかった。自分達の未来は自分達で決める。誇りを失ったら終わりだ。そう覚悟していたのだろう。

それに比べ、漏れ伝わる市議会議員達の盲動には唖然とする。外部の安メディアを借りて自分達の恥を外部に晒す姿は情けなくなる。それしか仕事はないんかい、ヒマ人達奴。

-選挙によって選ばれ、税金で約600万円もの給与を与えられた市議会議員先生とは誰に何を託された人達であるのか。民主主義とは何か、もう一度幼稚園で習ってこい !

議論の場である議会で知らぬ振りをしている議員も多いと聞く。議員が無責任な評論家に成り下がってどうすんだよ、アンポンタン。「決断と実行」せずに「困ったもんだのう」とは責任感も使命感も全くない。
一部の権力に迎合し、黙って見過ごしまった過酷過ぎる厄災を、たかが70年で忘れしまったわけではあるまい。我々はそんな情けない人達に地域や国の運命を託したつもりは、全くない。

今、柏崎は激動する時代に直面している。消滅可能都市、少子高齢化、人材不足・・・、課題は多すぎるが、じゃっどん、熱意と知恵が未来の扉を必ずこじ開けて行ける筈だ。
地域の多くの有権者から夢を託され、リーダーとして役割を期待されているのが「市議会議員先生」だろう。些細な違いから訳の判らない小会派に別れ「小人閑居して不善を為す」状態でなにをしちょっとか。柏崎に幸福を呼び込む課題を熱っぽく議論し、命懸けでぶつかっていって欲しいのだ。寝ぼけていられていちゃ、困るんだよ。

目を覚ませ ! チェスト、気張れ !

鯖石賛歌

2018年06月24日 風の戯言

人は俺のことを「ザイゴモン!」だと嗤う。
あったけぇの、お前さん達には鯖石の素晴らしさ知らんな。

鯖石には「「八季」があり、それぞれの季節に「朝」「昼」「晩」「夜」の風景が有り、魂に染みこむような物語がある。

今の季節だと、早朝八石山の空が赤く染まり出す頃、まだ遊び足りない妖精や出勤を急ぐ鳥たちが賑やかに飛び交うのに出会う。

ビッコを引きながら鯖石川の堤防を徘徊していると、川の中から寝ぼけたカモが慌てて飛び立って行く。「もうお前達なんか食わなくていいんだて、昔は食ったけど・・・」なんてぶつぶつ言いながらノロノロと歩く。

山裾には靄がかかり、郷はまだ静かに眠っている。なんと素晴らしい風景だろう。

お日様が昇れば、子供達の元気な声が聞こえ、鯖石街道には様々な車が行き交い、山の翠は深く、力強く育ち始めた早苗は田圃に満ちてくる。

夕方になるとジェット機が飛行機雲と音を引きながら空を行く。
重い荷物を背負いながら「おばんになりましたぁ~」と声掛け合いながら家路に急ぐ農家の人達の姿を思い出す。

夜には星が瞬き、人工衛星も見えたりする。正体不明の光が大空を彷徨い、多分祖霊だろう、公園の木々の間を通り抜けて行く。

鯖石にはたまにクマも出るが、何年か前山室の某市会議員達が溝に落ちたカモシカの子供を助け上げたことがあったという。「食ったろう?」と迫ったが「食ってねぇって、翌年そいつが集落の畑を荒らしに来たんだテ」。なんとも「いやはや」の話だこての。

藍沢南城三余詩集の巻頭を飾る「南条村」の世界は今も鯖石の地には生きている。

 百戸の渓村 皆農を業とす
 園園の桑柘 緑叢叢(そうそう)
 山深くして薪木の資乏しきことなく
 海近くして魚盬の利もまた通ず
 慈母花を折りて幼女に簪し
 孝孫竹を切りて衰翁に杖せしむ
 土風淳朴 鄰(りん) 卜するに堪へたり
 伍家を結いて耦功(ぐうこう)を謀らんと欲す」

都を去って帰郷した若き南城先生が南条の地に心を落ち着かせたこの詩に、密航の企てに失敗し、消え入るような挫折感の中で自分を迎えてくれたこの詩を今も思い出す。

2018FIFAワールドカップ ロシア

2018年06月23日 風の戯言

庭のチェアで夜空の星を眺めている。
俺には北斗七星と北極星しか判らないが、中に酩酊したような星が星座を横切っていく。
昨日の星はアレはなんだろう。
北から南西の空を目指していた星が頭上で東に流れ、八石の上で南に去った。
時折強烈な光を放ちながら踊っている。

昼間は朝昼晩とスズメたちが食事を待っている。
可愛い者で、食事時になると食事係が催促に来る。
窓を開け米粒を撒くと、警戒していた仲間が寄ってくる。
少し津津慣れてきたようだ。

サッカーは余り好きじゃなかった。
しかし、外国チームの動きの激しいサッカーを見ていたら少し見方が変わってきた。

体力と知力と運命の女神が強烈にぶつかり合う協議に魅了されてしまったようだ。

実に素晴らしい。

今日、糸満市摩文仁の平和記念講演でかい際された沖縄慰霊の日に中学3年生が捧げた詩「いのち」は実に素晴らしい。

嘘とフェイク

2018年06月19日 風の戯言

昔、ある町に「センミツ」と称された男がいた。
いや、奴は「マンミツ」だという人達もいた。
千に三つしか本当のことがないのだと。損得に関係の無い、たわいもない話にまで「嘘」が混じるのだという。

最初会った時は彼の話を喜んで聞いていた。
しかし、その話を他でやると、石塚さんそれは違うよ、嘘だよという。
でも暫く俺は彼を信じた。

しかし、ある温泉宿で、玄関に飾られた大きな四角い竹を物珍しそうに眺めていたら、彼は「ああ、この竹 ? 裏の山にいくらでも生えているよ」とのこと。
翌朝宿の主人に「そうだってねぇ」と聞いた話をしたら「とんでもない、外国からもってきたものだ」という。

さすが俺は目をパチクリさせて、その嘘を、その男が嘘つきであることを確認した。
確認してみると、彼が得意になって話していたことが全て嘘だった。

俺に平気で嘘をつく男を、俺は許せなかった。
俺は奴をボコボコにし、以後一切俺の目の前に現れないようにした。
町の人は「石塚を本気で怒らせた」とみんなが判ってくれた。

遠い昔の話しだ。

今、政府の頭目をはじめ官僚達は平気で嘘をついている。

こんな人達が日本に必要なんだろうか ?

「信頼」の元は「嘘をつかないこと」だ。
しかし、恐ろしいのは「嘘」を言っているという自覚のない馬鹿者達がいることだ。