よくわかる人工知能

2017年08月06日 風の戯言


 8月4日(金)、長岡で清水亮氏の、「よくわかる人工知能」セミナーが開かれ、聴講してきた。

 帰ってきてから同名の彼の本を拾い読みしてみた。

 あとがきに

 「未来を生きようとした時に、2つの選択肢がある。
  1つは変化を畏れ、過去の価値観にすがって穏やかな死を待つこと。
  もう一つは、変化に立ち向かい、それを乗りこなすべく、傷つきながらも前に進もうともがき続けること」

 俺の失敗の連続には、そんな意味があったのか?

安倍内閣改造

2017年08月03日 風の戯言


 都合が悪くなったから「議事録」は廃棄した。
 都合が悪くなったから「発言」したのは覚えていない。

 表向きは見事な対応だが、モヤモヤした不透明のガスは発火点直前になっている。何の目的で、何の効果を目論んでこんな事をやっているのか。ガスの噴出源が最もらしい顔をしていても、皆には見え透いている。

 日本の上流社会は腐乱が進んでいるようだ。

 俺が嫌いなのは「嘘を付く人」それに尽きる。
 嘘をつく人は詭弁を弄した「言い訳」をする。
 そこからは何も改善できないし、静かな侮蔑を生む。

 ネットワークの時代、「情報と知恵」は進化している。

 昨日・今日と長岡の花火。
 祈りのある花火は美しい。

 「決して恨むでない、御恩を大切に抱いて生きるのやで」
 ある小説のフレーズが心に残る。
 静かな祈りこそ、時代を流れていく人々の「祈り」なのだろう。

8月1日

2017年08月01日 風の戯言


 子供の頃、森近山の空が赤く見えたことを記憶している。
 明確な記憶でないが「ナガオカガモエテイル」と大人達が話していた。
 「センソウニマケタ、クヤシイ」ヒソヒソとそんな話を電灯の蛇腹笠の下で話していたことも覚えている。
 「カミナリ様のようなものに乗って、町の方から上がってきて、日本人を皆殺しにする」と脅え、裏山の穴蔵に隠れ見つからない様にするんだ」とも話していたようだ。

 昭和20年8月

 長岡空襲の時、3番目の姉は学徒動員で長岡に居て、宿になっていたお寺の本尊を背負って逃げ、難を逃れたという。
 父親は村長特権で機関車にぶら下がり長岡まで行き、転がっている死体の顔を確認しながら、姉を探したという。

 90歳になる姉は「本尊さんのお陰」と同じ話を語り続けている。あの日から72年が過ぎる。3歳の子供が75歳を過ぎた。
 いやんなっちやうね。

 稲穂が出てきた。
 今年も無事に刈り入れが済んで欲しい。

李下に冠を正さず

2017年07月25日 風の戯言


 雨が降っている。
 柏崎夏の風物詩、祇園祭は24,25日と大雨警報にやられたけれど、最終日、明日の花火は大丈夫そうだ。

 安倍政権は森友・加計問題、自衛隊問題で揺れている。
 安倍総理に根底の哲学が無いからだろう。
 国民もマスコミも違和感を持ちながら、その切り込みが出来ないでフラフラしているようだ。バカじゃないの! という感じ。

 リーダーの役割は「部下を食わせること」だと司馬遼太郎は「モンゴル紀行」で書いていたと思う。リーダーが皆に利益をもたらさなくなったら「革命」⇒リーダーは取っ替えなくてはならない。それを「正」とする。当然だろう。

 リーダーは「部下を食わせるため」に有能な部下を育て、組織を維持発展させなければならない。
 組織を維持発展させるためには、リーダーの欲望を満たすための原始的な「暴力」ではなく、次世代を生きる知恵を持った自由な人間を育てる人材教育だ。

 お友達だけに頼っていたら、有能な人材は腐乱する。
 自分も含め、人間はバカなのだ。放っておいたら腐乱し、異臭を放ち、黴菌は拡散する。

 「李下に冠を正さず」
 「信なくば、則ち立たず」
 「人に疑われたら、割腹すべき」

 リーダーは常に監視されている。自分の未来を開き、自分の利益を伸ばしてくれるリーダーなのか ?
 然し、不利益を承知で「ダンマリ」を決め込む周りの有象無象はありゃ何なんだ。よく見りゃ胸にバッチ付けてるのにさ!

ものくれ婆さん

2017年07月24日 風の戯言


 雨の日の鯖石は、静かだ。
  時折、通り過ぎる車の音がするだけ。
   こんな宝物のような生活を楽しんでいる。

 庭の芝生の脇に30坪ばかりが節子の農園。
  畑を耕し、タネを蒔き、苗を植え、柵を作り、   作業に夢中になっている。

 農園で採れる野菜は、食卓を賑わし、会話は「美味しいね」だけ。

 天の恵みか、僅かな農地から採れるキュウリ達は二人の生活には十分過ぎ、子供達や会社や知人達にお裾分けしている。

 姉たちの話を思い出す。

 体が弱かった母は朝早くから畑に出て、午後は床に伏せっていたという。元気な午前中に鼻歌交じりに畑仕事をし、後はダウンしていたのだろう。

 その母は「ものくれ婆さん」だったという。
 昔は、乞食も田舎周りをしていたらしい。しかし、田舎の乞食は貰いが少なかったようだ。そんな彼等に母は大きな御握りをそっと持たせ、近くのお堂で休ませていたという。

 母をよく知らない自分にとって、嬉しい話だった。

 血は繋がっていないはずなのに、節子さんは畑で採れた野菜を皆に運ぶのを何よりの楽しみにしている。そんなことが出来るのが、何よりの幸福なんだという。

 昔、閻魔堂の近くに「加藤のオババ」なる人が居たそうな。
 飢饉の時に炊き出しをした話が何処かに残っていた。
 祖先の一人だという。
 嬉しいね。

 雨の夜は色々なことを思い出す。