老年よ、大志を抱け  

2016年10月25日 風の戯言

 75歳間近になって、やっと何かが判ってきた。

 「何か」とは、要に「何が」判らなかったか、ということ。

 ここに至るまで75年懸かってしまった。
 あと25年しかない。頑張らねば・・・。

 未完

地方紙の死亡欄

2016年10月14日 風の戯言

 地域社会に根ざす地方紙の「死亡広報」欄について原稿を書き始めていたら、兄が急逝してしまった。
 
 12違いの兄は育ての親であり、親分であり、人生の師匠であり、全てだった。昭和5年の生まれ、戦後の動乱期を家族のために働き続けた一方、野球や狩猟、交通機動隊、越山会にも熱中していた。
 
 弟を本当に可愛がってくれ中学生の時に晩酌の相手をさせ、16番の単発銃を買ってくれた。調子に乗って色々なことを話したけれど、株や不動産の話をすると、「いいか、額に汗した金しか本当のお金じゃないぞ」と、そんな言葉も残してくれた。

 色々なことが思い出される。曇りガラスのようなシャッターが急に下ろされ、今も狼狽え続けている。

 柏崎日報の「死亡広報」に話を戻す。

 この欄は、不義理をしていた知人や恩人に別れの挨拶の機会を与えてくれる貴重なお知らせなのです。

 生あるものには必ず終焉の時がある。それは定めだけれど、お名前と住所と年齢を見ながら、どんな人生を送ってこられた方なのかなと思いを巡らせたりする。
 自分より高齢の方に、遠くなった戦中戦後の動乱の時期をどうやって生き延びてきたのか、一度だけでも直接聞いてみたかったなとも思う。

 誰もが思い悩み、迷い、哀しみ、そしてまた一瞬の幸福を宝物のように大切にして生きてきたのだろう。
 ただ、自分には未だに「生」というものがよく判らない。だけど、「人の死」がやたら哀しいのだ。「人生は無」とほざいて生きてきたが、歳と共に悟りも揺らぎ始めたのだろうか?

 人生は一遍の詩だという。
 
 地方紙の下段にさり気なく載っている死亡欄は、地域社会で我武者羅に生きてきた身近な人への賛歌であり、哀悼歌なのだろうと思う。

響 投稿原稿  「柏崎らしさ」 

2016年10月02日 風の戯言

 柏崎技術開発振興協会の「再生可能エネルギーと蓄電技術応用プロジェクト」に参加し、「柏崎らしい」商品開発に苦悶している。東芝の2次電池SCiBを使うことが条件なのだが「柏崎らしい」商品」ってどうすりゃいいんだ ?

 ところで「柏崎らしさ」って何だろう ?

 海・・・? 日本の周辺は海だけじゃないか・・・?

 柏崎の特徴って「消滅可能都市」・・・高齢者が多く、市内も周辺地域も「過疎地」・・・これが特徴?

 そうか ! 「柏崎らしさ」というのは「老人と海」なんだ !

 日本中、高齢者が溢れている。であるならば「ターゲット顧客」を高齢者に絞り込んだら、どんな商品開発が可能なのか?

 はっと気がついたら、自分は既に高齢者であった。しかも来年は立派な「後期高齢者」になる。で今、自分が一番欲しいモノ?、そうだ、リハビリゴルフを楽しませてくれる、芝生を歩かなくてもよいゴルフカートだ! いいじゃん ! それだよ。

 閃けば後は俺は天才。次から次へとアイディアが沸いてくる。
 電動車椅子にゴルフバックを積めばいい。商品名は「ボケモンGolf cart」。ゴルフ場のコースデータとGPS、ボールの自動追尾システム、自動運転技術を組み込めば一丁出来上がり。
 どうだ! 柏崎カントリーは海は海が近い。柏崎は年寄りにバカ優しい町なんだよ。絶対柏崎の「売り」になるハズ。

 「・・・で、お前のボールは何時も藪の中に入るけど、その時はどうするのだ?」
 「・・・・・余計なこと言わない方が身の為だぞ !」

ネット民主主義

2016年09月28日 風の戯言

 民主主義が揺らいでいる。
 というより、本来政治手法としての「民主主義」には疑念があった。それが今の政治に生きているのは、もっといい方法があるのだろうが、今の現実では「他に方法がない」と見られているからだ。

 民主主義が本来の理念を実現するには「人民は優秀でなければならない」。 議論が出来て、「よりよい方法」が多数決で決まった時には、皆それに従う、ということ。

 大衆は議論が出来ない。

 歴史を見れば大衆は「強いものに巻かれる」。強いものは武力であったり、大衆を扇動する力であったり、金の力であったりする。
 司馬遼太郎は「リーダーの条件は、食わせることが出来ること」だと喝破している。自分だけ肥えているのは・・・神はみんな見ている。

 「小池劇場」で変化が見えてきた。

 民衆の力を引き出すのは大衆の不満に乗り、煽るマスメディアの力と、その源泉は「ネットワーク」で集約される大衆のデーター化である。
 
 小池劇場」でデータ民主主義、ネットによる市民の要望の集積、AIによる分析と解決策の推測が進み、世の中は変わってくる。本当の「ネットワークの時代」が始まっている。

 しかし、油断してはならない。リーダーは化けるし、大衆の欲望は一夜で変わり、大衆は娯楽を求めている。そして、悲劇は最大のご馳走。

トモダチ作戦

2016年09月26日 風の戯言

 柏?市長選挙、新潟県知事選挙、野次馬を楽しませてくれたけれど、そろそろ本番。無責任なことも言っていられないぞ。 

 ここに住んでいる者にとって未来の課題は原発だけではないのだけれど、どちらの選挙も争点は「原発是か非か」の一点。
 仕分けは極端だけれど、安全か生活手段かに尽き、もっと言えば自分の人生を原発に依存するか、自立自尊の道を選ぶか、だろう。

 産業は人間の幸福に資するものであるべき。
 安心して未来に夢を描かれるかどうか、だろう。

 3.11東北大震災の時、米空母ドナルド・レーガンは韓国に向けていた進路を変え、12日からほぼ2ヶ月「トモダチ作戦」として震災の救援に当たったという。
 しかし、フクシマの救援から帰った兵士達はガイガーカウンターが振り切れる程の被爆をし、今も400人くらいが身体の異常を訴え、7人が亡くなったという。
 出身が貧しい兵士達は除隊後の生活不安が残り、補償を求めて東電を裁判に引き出そうとしている。

 核は誰の幸福にもならない。

 チキンレースのような世界の情勢が・・・人間にはまだ本物の「知性」はないのかも知れない。