里の秋

2024年10月03日 風の戯言

昨日から、頭の中で「里の秋」がリフレーンしている。
 ♪ 静かな静かな里の秋 お背戸に木の実の落ちる夜は あぁかあさんただ二人・・・・
込上げてくるものを抑えられず、暫くその世界に沈んで行く。

 俺も年取ったなぁ・・・ボケが酷くなった・・・絶対口にしてはならない愚痴が出る。

さぁ、戦闘再開だ!
主治医にも、なんか始めないと本当にボケるぞ! と脅された。
冗談じゃない、今以上にボケてたまるか!

写真は新道から黒姫山を望む。
 の済んだ野田の沢に、そしてこの山には神がいなさる。

藻谷浩介とシャボン玉.

2024年10月02日 風の戯言

10月に入ったのでそろそろ「再稼働」願っている。
ただ、残念ながらいきなり戦闘開始出来ない。
エンジンが錆びついてしまっているようだ。

藻谷浩介の本を何冊か手元に置き、気の向いた本からパラパラめくっている。
藻谷浩介は司馬遼太郎、保坂正康に繋がる好きな論客だけれど本を買うのは初めてだ。
『「やってはいけない」「やらない」という基準が自らの中にある人」を「大人」』という。
そんなことを振り返りながら、自分のエンジンの調子を確かめている。

明神の向山ガーディン、馬場清子さんを訪ねてきた。
彼女も先年旦那さんを亡くしたばかり、同級生の友人も奥さんを亡くしてしまっている。
相棒が生きているうちに、何でもっとやってやれなかったのか、という悔いは同じだった。

写真は若山さん手製のシャボン玉製造機。綺麗だった。

帰り道、倍賞千恵子の「里の秋」を思い出し、思わず口ずさんだ。
日本の古い童謡・唱歌は滅茶苦茶にいい。
最近の歌は何だよ、芋虫が集団で這いずり回ってる。

せっちゃん

2024年10月01日 風の戯言

「オサムさん、お味噌汁ってどうやって作るの?」
新婚生活がスタートした時、新妻節子がそう尋ねてきた。
ギクッとした。来たなー!

いろいろな思い出が駆け巡る。
「人の何倍も生きてきたように感じる」
入院する前、ご飯食べながらボソッとそんなことを呟いていた。

まだ昼間は暑いけど、朝晩はさすがに涼しくなってきた。
夜明け前の星空を見ながら、いろいろなことを考える。

南下の池、ふるどの森の彼岸花が咲いていた。

母の待つ里

2024年09月30日 風の戯言

実は、母親のことはよく知らない。
母の顔を知ったのは、戦前新嘗祭で粟を陛下に献上した時の皇居前での記念写真。
母の名前も、大学卒業の時父母の氏名欄に母の名前を書かなければならなった時、初めて知った。
我ながらどうかと思うが、知らなかったのだ。
母は「おっかちゃん」だった。

その母親も、妻が生まれるのを見届けて亡くなった。
そうとしか考えられない。
昭和22年4月の7日と22日。
我5歳の時。

浅田次郎の「母の待つ里」。
この作家の好きな小説は張作霖を主人公にしたもの。
だから、この本は違和感が大き過ぎた。

この本の主題のように、今考えると仕事にのめり込み「幸せとは何か」を見失っていたのかも知れない。
でも、俺にとって仕事は楽し過ぎた。

いろいろな思い出が流れて行く。
そして、明日はからはもう10月。

「愛」とは何か

2024年09月29日 風の戯言

随分以前から「愛」とは何かと考えてきた。
「愛」とは無条件の行為だと思っている。

「無条件の愛」とは、正確に言えば「母親の愛」だけなのだろう。

母親は病弱だった為に、そりゃ元々体の弱い人なのに20年に7人も子供を産めばそうなると思うけど、俺はヤギの乳で育ったらしい。
そのせいか、人には角を立てて頭からぶちかませる病癖がある。
母親の「愛」が足りなかったのか?
そうじゃない。

女房が亡くなって、隙間風が吹いている。
ヨレヨレになって、認知症が倍速で進んいるの見かねていろんな人達が訪ねてきてくれる。
昨日は万里子と亜由美が、宇都宮と川崎から来てくれた。
キッチン105で裕子と合流し「3人娘」とランチ。
みんな会社草創期の社員達。嬉しかった。