イボ山
北条の小島と山澗の山奥に紫陽花の綺麗な「イボ山」がある、といろんな人たちから聞いていた。
一度、行ってみたいと思いながら10年が過ぎてしまった。
今日は暑い日が予想され、家にいても死んでしまうだろうから、と意を決してイボ山に向かった。
小嶋には看板が出ていなかった。
山澗に向かい、彼方此方探したが見当もつかない。
道の脇に腰の曲がった老婆が立っていたので道を聞いた。
「その道行かっしゃい」
何と、探しあぐねたイボ山への入口だった。神懸かり!
猫もすれ違えない様な細い林道を暫く行くとイボ山に出た。
紫陽花はなかった。
ばあさんが「世話した人が亡くなったからねえ・・」と言っていたのはこれだったのか。
紫陽花の名所は元の山に帰っていた。
花は、人の手を煩わして初めて綺麗な花を咲かせるのかも知れない。
紫陽花が咲き始めた
鯖石小学校の紫陽花が咲き始めた。
学校の下の、黒姫山が見える水田にも早苗が植わった。
今年は雨が少なく、鯖石川の水量も少なく心細い。山の水は危機的。
話は飛んで
文春7月号の清武英利「記者は天国に行けない」連載を面白く読ませて貰った。
第30回目は「OSが違っていても」
OS? 勿論 Operating System のことらしい。
三原マジックの解説で、若者教育に「根性」ではなく「若者の価値観」に下りて教育する、と。
「価値観のOS」が全く違う、のだと。
保坂正康「日本の地下水脈」も毎回のめり込んで読んでいる。
昭和研究家として、ガタガタになっている現代政治の「地下水脈」を探る好読み物。
岸田首相がアメリカ議会での講演で何回ものスタンディングオベーションを受けたことを苦々しく思っていたのでスッキリした。
クリ?
学校の脇の散歩道に、栗の木の花が咲いている。
上の写真は何の花だろう? 森近の部落の中で。
鯖石の谷には、目立たない白い花が咲いている。
ザイゴは、夜8時を過ぎると死に絶えたように静かになる。
時折、亡霊のように車のライトが空中を飛び交い、三日月は眠りについている。
土日以来、体調に気配ったら心肺停止に近くなった。
来週は原発と南城先生とサハシノショを話題にした「講演会」
さてさて、どうなるか?
大事な藍沢南城の「南条村」の詩文を忘れかけていた。
罰当たり奴!
この一編の詩が俺を支え続けてくれているのに。
百戸の渓村 皆農を業とす
園園の桑しゃ 緑草叢叢
山深くして 薪木の資乏しきこと無く
海近くして魚鹽の利も亦通ず
慈母は花を折りて幼女に簪し
孝孫竹を伐りて 衰翁に杖せしむ
土風淳朴 りん 卜するに堪えり
伍家を結ひて ぐう功を謀らんと欲す