石川啄木
やわらかに柳あをめる
北上の岸辺目に見ゆ
泣けと如くに
いのちなき砂のかなしさよ
さらさらと
握れば指のあひだより落つ
砂山の 砂に腹這い
初恋の
いたみを遠くおもひ出づる日
中学生の頃、初恋と未来への不安に七転八倒しているなかで、石川啄木の短歌に出会い、殆ど情緒不安定な錯乱状態に陥ってしまっていた。
正直に言えば、まだあの頃の世界に漂っている。
あの時代から60年が過ぎ、今新たに「文学とは何か」に迷い続けている。大学の卒論でヘミングウエイ「日はまた昇る」を題材に「無」の世界に切り込んで行ったが、何ヶ月もぼろ長屋の閉じ篭もり、掴んだものからは脱出できていない。
出来た卒論を届けに行ったら、期末試験が終わっていた。
「文学とは何か」今も解らない。
19日、ドナルド・キーン。センター開館3周年記念特別講演会を覗いてきた。
主題は「石川啄木の日記」。文学者の日記とは人に読まれることをむしろ予期しながら書き続ける「日記文学」。自らの弱さをさらけ出すことに事によって、人に勇気を与える、ってことか・・・よく判らない。
人は皆、自分を強く見せようと「滑稽な殻」を補強し続けている。
響投稿原稿 「東京都は伏魔殿」
お行儀の悪い野次馬にとって「小池劇場」は痛快な活劇である。早速「現場を見にも行ってきた。
「年増の厚化粧」が都知事に就任し幕が開いたとたん「豊洲市場」では基準値を43000倍もの有害物質を地下に封じ込める為の盛り土より、建物のメンテナンスの利便性を優先させた問題が火を噴いた。
「審査委員会」が「提案」した「盛り土」が「無視」された行政組織は誰が責任を持つのか。また「提案」とは何なのか、効力は何処まであるのか?・・・解んねぇ・・・
石原慎太郎が都知事の時代、盛り土よりも空洞を提案したのは「私は素人、下から揚がってきた案だもの」と回答し、記者団に突っ込まれた挙げ句「東京都は伏魔殿」と吐き捨てた。「エエッ ! お前が言うか ?」だ。
「安全性」よりも「利便性」を優先する。「何のために」の目的が軽やかに捨てさられ、議論は責任回避や詭弁のオンパレードに終始する。「知らなかった」「誰かが決めたことだ」・・・「メルトダウン」にも繋がってくる。
しかも地下空間に溜まった水を調べてみたら基準値以下だった!・・・800億円も掛けた「盛り土」は不要だったってこと?・・・
日出る瑞穂の国は「恥の文化」を大切にした「神の国」ではなかったのか・・・頭がクラクラしてきた。老衰が始まったのかな。
グレート・ジャーニー 一万年の旅路
人類は長い長い旅をしてきたから賢くなったという。
アフリカを出でて、新しい土地に足を踏み入れ、新しい環境に適応する為に戦い、一時の平安を得て、そしてまた新しい理想の地を求めて彷徨い、生きてきたのだろう。
暗夜に星を見つめて、そんな祖先達の長い旅路を思う。
人生も、そんな一つの長い旅路なのだろう。
小さな喜びのその直ぐ後で、小さなことに傷つき、その傷の疼きを抱えて立ち止まってしまう。
暗夜に、道を求めて悄然とし、ただ、俺には、また歩き出すことしかは出来ない。
一つの人生も、一つの長い旅路・・・グレート・ジャーニーなのかも知れない。
泉田劇場の幕
知事が新聞批判にブチ切れた。
このキレ方、拙者レベルの情け無さだ。新潟県の知事様はもう少し江戸城大奥の小池様のしたたかさを見習うべきだ。
目標を決めたら、シナラクナラして相手を骨抜きにしてしまい、やがてトドメを刺す、あの手練手管はマキュアベリもビックリ、孫子も脱帽だろう。
東京が楽しみだ。
拙者は泉田殿を尊敬していた。少なくとも原発再稼働の条件にフクシマの総括が終わらないのに、何を抜かすか !の恫喝は極道も顔負けの大段幕、拍手喝采、道理である。
「再稼働」は必要だろう。1日100億円ものお金が石油・ガスの購入費で消えている。なんとかせんばならん ! のは当たり前なんだが、住民の「安心」を購うアイデア、信頼に足る説得力が殆ど「ゼロ」。「バカヤロー」だね。
「メルトダウン」の隠蔽も幼稚すぎて腹立たしいが、問題は「産業とは人々の幸福に資するもの」であるはずなのに、その産業の稼働に対し「避難訓練」を臆面もなくやっちゃってくれる神経はどうなっているのか?
煤煙濛々の昭和の産業復興期を思い出す。あの時にこそ「避難訓練」が必要だったのじゃないか ?
人生、引き際が肝心だという。
やっておきたいこと、やり残したこと、いろいろある。
外部から罵詈雑言を浴びせられたとしても、やらねばならないことはやっておかなければならない。私利私欲にまみれたものであるならば徹底的に潰すか矯正しておかなければならない。去る者として、それは「ケジメ」だ。
泉田知事と新潟日報の「イサカイ」は些か不毛だ。
知事を辞める口実としては女々しすぎる。
もう少し徹底的に戦うべきではなかったのか?
響 投稿原稿 「アッパレ君」 564文字
貴紙の4コマ漫画「アッパレ君」を楽しみにしています。
何とも言えぬ「ほんのり」とした、上品で温かみのあるユーモアは最高ですね。
死亡広告欄の次に見ています。
漫画家の名前は「前田ひろし」、ですが「木崎ゆきお」「秋里とんぼ」などいくつかの筆名を持ち、「アッパレ君」の他に、「あきれたとうサン」、「ゴキゲンさん」などの名で記載されているらしい。
例えば、8月23日の「アッパレ君」はマンガはこうだ。
電気店に子供が訪れ、「音が出なくなったんです」、「電池取り替えて下さい」と故障した「もの」を差し出す。「どれどれ」と店主、みたら虫かごに入った「セミ!」
この「アッパレ君」は8858回目、毎回こんなマンガが連続掲載されている。こんな素晴らしいアイディアを生み出し続けるマンガ家に会ってみたくなったし、単行本があったら欲しくなったし、マニュアル化時代に「えっ!」と驚くような温かいユーモアに毎日触れさせて貰うのも自分の大切な幸福の一つなんです。
「AI 人工知能」にマンガの面白さが判って堪まるか!
(13*40)520文字