「天才」 石原慎太郎
作家としての「本音」が聞こえてこない。
人間としての『味』と言った方が良いのかな
丁度、青木直人の「田中角栄と毛沢東」を書棚から引っ張り出し、読み終えたところだったから「天才」を買ってみた。
一言で言えば「ゴミ」だね。
「俺」の一人称で語る「つぶやき」のような体裁だけど、角さんの子供達を実名で語るなんて「小説」じゃない。読み終えて、こんなに後味の悪い本は久し振りだ。
石原慎太郎もボケたのかな。
浪人時代、神田の出版社で早乙女勝元や早船ちよ、「人間の条件」の五味川純平に接したことのある人間にとって浅すぎる、のだ。社長は共産党の論客であり、色々な人達のお茶出しをさせて貰った。当時、お茶出しは住み込みの仕事であり、夜遅くまで続く高名な人達の談論風発は側で聞いていて涎の出そうな時間だった。
だから、と言っては主体性がないが、家に戻っても共産党シンパみたいであり、地方選挙の時は共産党候補の応援弁士も勤めた。
当時、俺は田中角栄が許せなかった。
しかし、ロッキード事件の後、あの22万票を掘り起こした選挙はギラギラに燃えた。あの野立ちの選挙演説を聞いた者にとって、「角さん」は鳥肌が立つような存在だった。
やがて俺は「明日の鯖石を創る会」を組織し、バスを連ねて目白に押しかけた。
草の根の、あの祈りにも似た思いを、石原慎太郎如きが知るはずもない。「田中角栄と毛沢東」ではそれが針を刺すように伝わってくるのだが・・・。
どなたか飯田直固をご存知ありませんか ?
かれこれ40年ほど前、鯖石は「八石山埋蔵金」の話題で賑わっていた。
事の真偽は定かではない。ただ、大阪から来た人は大真面目に埋蔵金探索に精を出していた。
彼らの話ではこうだ。
蒋介石が大陸から撤退する時に、宋美麗の実家の財宝を運んで八石山に埋めた、と。
待て待て、待てよ、眉唾物だが、何故八石山なのだ ?
敗戦時、中国に残された日本軍や日本人が安全に故国に引き揚げられたのは覆面の司令官と言われた人の功績なのだ、と。
えっ、待てよ、その覆面の司令官と八石山になんの関連があるのだ?
その人は八石山の人だから、よ。運んだのは児玉誉士夫だ、判ったか ?
話としては面白かったが「ふーん」で終わり。やがて財宝が見つかり、お礼に善根滝の近くに橋を2本寄付して帰った、とさ。 その時も「ふーーん」で終わり。
何年かして、子供の八石登山に付き合わされた時、「八石城址」の碑に「中将 飯田直固」の文字を見つけたけれど、それで終わり。
あれから30年以上が過ぎた。
先祖か世話になったという加納の清龍寺に時折お参りに行く。昨年伺った時、志田ティさんにお会いし、『覆面の司令官』の話を聞いたら、飯田直固中将は小国八王子の人で、お墓が境内の墓地にある、とのこと。
その後、詳しい話は聞く機会を失している。貧乏性の性だ。
インターネットで調べてみたら、近衛師団長をしていたこともあり昭和天皇の信任も厚かったという。
面白いことに東条英機、山本五十六と同じく1884年の生まれ。ただ退役が1941年と微妙な所が気に掛かる。
日本軍と毛沢東、蒋介石は意外なところで繋がっていたのかも知れない。
どなたか詳しい話を聞かせて貰えませんか ?
どなたか「高橋五郎」をご存知ないか?
インテリジェンス作家佐藤優らしからぬ書評に魅せられノートルダム清心学園理事長渡辺知子の「置かれた場所で咲きなさい」を手に取ってみた。
正直言えば、この「置かれたところで咲く、ということは仕方が無いと諦めるのではなく、笑顔で生き、周囲の人々も幸せにすること」というキリスト者の世界は最も苦手なんです。
実は学生時代、サルトルを曲解し無神論的虚無主義者として勝手気儘に生きることを人生の掟としてしまった。
ただ、「痴娯の家」の岩下館長から「聖書を最初に日本語に翻訳した高橋五郎は柏?の人」という一言が頭から去らず、何時か調べてみたい人になっている。
ドナルド・キーン・センターの吉田真理さんに話したら彼女のネットワークで知っている人が居る、とのことでしたが詳しく話を伺う機会を失っている。貧乏性のせいだ。
キリシタン・バテレンの頃から日本語による聖書はあったはずじゃないかと思うのだが、私には判らない。カメルーンのアミン社長に話したら「原書は何語だ」と聞かれた。
「そんなこと、俺が判るはずがないだろう」と開き直ってみたが、考えてみれば、釈迦の言葉も漢字に音訳されて日本に渡来したら、何が何だか判らなくなっている。法事等で「お経」を有り難く聞かせられるがナンノコッチャチンプンカンプン。
真言は古代インドの言葉をそのまま聞いて、修行して「感じろ」と。
わかんなぁーい ! てなもんだ、べらぼう奴!。
比叡山を千日回峰行して即身仏になる時、感得するのだと。参ったね。
インターネットによれば高橋五郎の「聖福音書」はヴルガタ・ラテン語聖書のスタイシュンの口述から翻訳した、カトリックの和訳聖書の初めである、とされている。
そんなんじゃ、なんも判らんのだて。
高橋五郎という柏崎出身の人についてもっと教えくくれ !
写真は「吹雪の合間に」
原節子
大雪予報が当たらず、寒いけれど雪の少ない日々を喜んでいる。
庭の山茶花の木の下は、まだ土が顔を残していて嬉しい。
少し何かが見え始めたのか、飛ばし過ぎたのか、久し振りに血圧が下がり過ぎて、窓から雪雲を仰いでいる。
もう少し生きていることを楽しめ、というシグナルなのだろう。
文春に「原節子と裕次郎」の記事が出ていた。映画監督の木下亮が叔母の会田昌江(原節子)を追悼したものだ。
「東京物語」は1953年、昭和28年と言えばまだ小学生だった頃だから覚えているはずはない。ただ、村の学校の体育館で映画は何回か見た。隣の女の子が気になって、何を見たのか覚えていないけれど・・・。
同じ雑誌に鈴木京香の取材記事もあった。
女優としての心に共通点がある。似ていると思った。
たまには小津安三郎でも見るか。