空海の風景

2017年11月15日 風の戯言


 姉の葬儀も無事に終わり、久し振りに親族皆が集まり、賑やかな別れの会になった。間もなく、あの世で皆が又会えるのだろう。

 「空海の風景」を読み直している。

 身も蓋も無い言い方になるが、人は死ねば土に還る。
 最近は骨だけになり、生きていた面影も無い。

 自分の葬式はドンチャン騒ぎを企てているが、もう少し詳細な企画書を作成し、関係者と契約書を交わしておかなければならない。印鑑が大切なのだ。違反者が出た場合に供え、弁護士とも詰めておかなければならない。楽しみだね。

 宗教が何故必要なのか、考え続けている。
 午年なのに「イノシシ型」の自分には「慎重に」、とか「よく考えて」行動する事は皆無で、思いついた時にはもう動き出している。後ろには「悔悟の山」が聳えているが、時間は戻らない、ヤッチャツタら仕方が無い、終わったことはどうにもならない。明日は晴れているのかも知れない。そんなとこ。

 宗教とはそんな単純なことでは無く、もっと深い意味があるのだろう。

 だが、誰もそれを説明してくれない。

 「有り難いお経」は一つの音楽であり、生き残った人達に勇気も知恵も伝えては居ないのでは無いか ?

 空腹に耐えて、山道を歩くことでしか得られないものかも知れない。

スマナサーラ

2017年11月12日 風の戯言


 未来予測の中である程度確定的危機なのは
  ? 1000兆円を超す負債の償還
  ? 減少する若者の就労人口の対策
  ? 30年後までに70%の確率で起きる関東大震災への対策

 全てはこの問題を、どう解決するか、何時までやるか が殆ど議論されていない。マスコミも猟奇的な事件の詳細、アホ番組に精力を注ぎ、日本国の、従って自分達屋家族の生活の根底の問題に対して、幕末の「えーじゃないか、えじゃないか」と踊り狂った民衆と変わらない。

 冗談ではなく、本気で考える人達は居ないのだろうか?

 姉が逝って、陰鬱な日が続く。
 夢の中は、通常の生活の中で、あり得ないトラブルに苦しめられている夢が続く。なんか、もう少し純愛の発展した夢を見させて貰っても良さそうなんだが・・・。

 90歳になる三姉に花を持っていった。
 彼女の家は去年から今年に掛けてバタバタと死去し、半ば呆然としている。それでも若かった時や、初めて東京に遊びに来た時の話を、繰り返し楽しそうに話している。横浜の下宿に、仲兄が家族に内緒で九州から居候しに来た時の話は、東方が忘れてしまったリアリティを持って話し込む。仲兄とも、あの時に慌てた様子は、今も大笑いの中で繰り返す。

 多分、柏?では一番仲の良かった7人姉兄弟は、少しづつあの世に旅立っていくのだろう。
 この世が仮の世で、あの世が真の世だとも思えないが、皆が一番幸せだった頃の姿で会えるなら、最高なんだと思う。

 A・スマナサーラの本を読み直していると、キリスト者である渡辺和子の「置かれた場所で咲きなさい」と言う言葉が、仏陀の初期の言葉を伝えるというテーラワーダ仏教会の事派と重なってくる。

 批判だけをしている人が居る。
 アメリカから比べれば日本はダメだ。なっていない。
 東京に比べれば柏?は問題にならない。

 いろんな不平を言うことが自分を高めると勘違いしている。

 その時、自分で出来ることをする。 そうなんだと思う。

姉の旅立ち

2017年11月09日 風の戯言


 姉が旅立った。

 96歳。

 7人の兄弟姉妹のうち、3人が父母・祖父母の元に帰った。

 義兄も2人混じって、迎えているのだろう。

 実家のお墓では、賑やかな話し声が聞こえていた。

 寂しい、と言うより、何か羨ましい気持ちになった。

文化の日

2017年11月04日 風の戯言


 風に木の枝が揺れ、小雨が降り続く。

 こんな日にビバルディの「四季」を聴いているのもいい。

 昨日は朝から市内山本の西岩野遺跡発掘現場を訪れ、弥生時代後期から古墳時代といわれる遺構を訪ねてきた。
 雨の予報が青空の晴天になり、説明会よりも周りの山道に気を取られ、暫く散歩を楽しんできた。
 柏崎近郊にもう一つ宝物を見つけた。
 やはり、まだまだ知らないところが多いんだ。

 帰ってからお昼まで交通公園の草刈りボランティア。
 午後は神社への土方奉仕。
 昔の土方もツルハシ、スコップがまともに使えなくなった。

 子供達が孫を引き連れ襲来し、2人家族が10人になり、殆ど民宿状態。こんなのもいいもんだ。

ドナルド・キーン 「日本人の戦争」

2017年11月01日 風の戯言


 読み進むうちに陰鬱になってくる。

 ドナルド・キーンは太平洋戦争で情報士官として、戦場に散った兵士達の手帳に記された日記を読み解いている。

 この本は「作家達の日記を読む」と副題にあるように、戦前、線虫、戦後の膨大な日記を読み解き、日本人の戦争感を抉り出している。

 高名な作家達の戦中から戦後への変節を知り、何やら現代にも通じる「言論」の無節操に愕然とする。

 「飯が食えないから」とキーンは同情もしているが、余りにも無残な「転向」に辟易としているようだ。

 信頼とは何か ?
 「筋を通すこと」、変わらぬ哲学を持って生きること、なのだろうが、豊かな時代を生きた人間がホザク言葉ではないのだろう。
 しかし、「調子のいい奴」にはむかっ腹がたつ。