番神の梅
藤原緋沙子の新作「番神の梅」を岬館の女将から戴き、夢中になって読んでいる。
「柏崎日記」渡辺勝之進を題材にした小説で、柏崎人としては物語より当時の時代背景、柏崎の歴史や町並みが気に掛かる。
大塩平八郎の乱に続く柏?の生田万の乱など、その歴史に流されて行く人の命や運命など、物語は貧乏故の哀しさと暖かさを蓄えています。
もう一つ。これは嬉しい話。
日本で最初にバイブルを翻訳した高橋五郎について、ブルボンの吉田真理さんが調べていていた。
大勢の宴会の席だったので、詳しい話は「また後で」と言うことになった。
こんな人が柏崎の人だったということは「面白い」
キリスト教にはご縁がないとも言えず、実は母が大正時代に横浜のフィリス女学校に学んだという話。石曽根の曹洞宗の大寺、安住寺の檀家総代の一人娘が、何を血迷ってクリスチャンの学校に行ったのか、何故親達がそうしたのか ? 話を聞こうと気付いた時には祖父母も父母もみんな旅立ってしまっていた。
母は子供を負ぶい、障子戸にハタキを掛けながら賛美歌を口ずさんでいたという。
ハタキのリズムに合う賛美歌って何だろう、近頃思う。
山の紅葉に絶叫 !
自宅から尼か額峠を登り、紅葉のトンネルを抜けると「ぶどう村」がある。ぶどう畑は綺麗に草刈りが出来ていて、ここから眺める刈羽三山は絶景である。
そして、その山の向こうに魚沼の山が見える。湿気を含んだ青空は、折角の絶景を霞ませている。それもまた良し。
魚沼の遠景を楽しみ、消えてしまった集落、小田山新田を抜けて明神に降りる道を探したが生憎工事中。.仕方なしに左にハンドルを切り林道を行くと、これがまた何という綺麗さ、本当にこんな心の安まる道を走ったことがないような、将に一幅の絵。
車を止めて、林の中に見とれても、行き交う車はなし。
南下に降りて、佐水を曲がり、細越トンネルを通って水上に出、苛島、清水谷、ここも我が古戦場、折居に辿り着きようやく353号線に出た。
女の子でも乗せていたら絶叫の連続だったのだろう、将に「錦」。
353は石黒、中の坪でようやく高柳方面、じょんのびへ。
眼も心も玉しませて貰った。
今年の山はひと味違うようだ。
自爆テロ
些か物騒なタイトルだけれど、未来を切り拓いて行く時、自爆テロしかないかなと思い始めている。言葉を選べば、武士道、ということになるのかも知れない。
世の中の様々なことが行き詰まりを始めている。事の善し悪しではなく、70年も1つの価値観が支配し続けてれば、改革の意欲も熱情も失われ平穏無事でいることが、何も変わらないことが一番の「平和」なことになる。それは良いことだけれど、次の時代を切り拓き、継続して行くには「大胆な革命」が必要なんだろう。
運命を狂わされ、血は流れ、絶望が拡がるのかも知れない。
自分がやろうとしていることは「細やかな」事でしかないのだろう。ただ、誰も御身大切で声を上げなければ、他人に運命を任せたままでは、何も始まらない。
地方消滅はこのまま行けば決まりだろう。
じゃ、地方創生、賑やかにするには何が必要だか。
1.子供の教育費の無料化 幼稚園から大学生まで
2.介護施設をコミュニティの併設すること。
出来ればJAの経営にしたい。医療センターとの連携
3.老人の居なくなった中山間地の道路、歩道、公園の草
刈りと落ち葉拾いの機械を発明し、草取りを綺麗にして
貰うこと。
簡単なことだが、誰も声を出さない。これなら自爆テロはいらないだろう。
閑話休題
先週金曜の夜は、俺の夢を手伝ってくれた2人の女性達と飲み、楽しい時間が過ごせた。
もう40年も前、日本で2番目の熱気球を自作しようとした時、まだ二十歳前後のうら若き娘達が、直径25メートルもある熱気球を縫ってくれたのだ。
こんな女性達が身の回りの、南鯖石の地にいたことがどんなに凄いことなのか・・・。昔話に、本当に、花が咲き、時間が経つのも忘れていた。
俺は、いい人達に囲まれていて、とてつもなく「幸せな男」なんだと思う。
帰宅の暗い夜道、俺は大声で泣きながら帰った。