夢が欲しい !

2015年09月27日 風の戯言


 美しき浜辺の町は、エネルギーの町でもありました。
 石油発祥の地としての歴史と誇りがあり、現在も天然ガスが採掘され、世界一の原子力発電所を抱えている。   

 その原発が「再稼働」で揺れています。「フクシマ」で安全神話が崩れ去り、今も故郷に戻れない「原発難民」が20万人ほどいると聞いています。一経済人として、また先祖代々この地に住み続けた一住民として心は揺れ続けています。
 
 海を見ながら考える。
 再稼働にしてもいずれ「限界の季節」が来ることは間違いない。ならば現在の「再稼働」にしろ「廃炉」論議にしても、原発は最後には解体しなければならない。綺麗に解体し、元の松林の山に戻して貰わなければ、元の「美しき浜辺の町」に戻して貰わなければ、「軍艦島」のような世界産業遺産が残るだけになってしまう。
 
 廃炉には1基1兆円掛かるという話もある。誰が負担するのか、何年かかるのか。「いい産業になるんじゃないの!」と吐き捨てる人もいるけれど、何の夢もない話になってしまうのだ。
 
 海を見ながら考える。
 俺たちは夢が欲しいのだ、と。GEのCEOジェフリー・イメルトはロイター通信の取材で「経営には冒していいリスクとそうでないものがあるが、原発は冒してはいけないリスクのような気がする。」と話し、世界中を驚かせたという。
 ソフトバンクの孫正義は「世界は再生エネルギーに向かうだろう」とモンゴルの風力や太陽光、ロシアの水力などの自然エネルギーを送電網で日本に持ってくる「アジア・スーパー・グリッド構想」を練っていると聞く。
 
 途方もない話のようだが、夢は夜ひらく、じゃない現在夢は「夢のような世界」を手にしつつあるのだ。
 BSNの「夢の扉」も面白い。夢は新しい時代を生み育てる力となる。

 筋萎縮性側索硬化症(ALS)に悩み、「惑星」の研究に打ち込む東大の地球惑星科学阿部豊准教授の「生命の星の条件を探る」を読んでいると、地球はやはり「奇跡の星」としか思えなくなる。
 地球表面の7割を海が占め、「水の惑星」とも言われている。海には何か途方もない未来があるのだろう。

 海を見ながら考える。
 柏崎の海から人を幸せにするエネルギーを貰う研究がスタート出来ないのだろうか ?
 
 世界中が海からエネルギーを貰えるようになれば、資源を巡る争いも少なくなるだろう。

 浦島太郎が竜宮城から持ち帰ったものは、実はこの謎かけだったのかも知れない。

蒼ざめた馬を見よ

2015年09月03日 風の戯言


 五木寛之の鮮烈なデビー作「さらばモスクワ愚連隊」を久し振りに読んだ。2階の本棚にも見当たらず、「蒼ざめた馬を見よ」と一緒に取り寄せて貰った。
 
 行間からジャズが流れてくるような鮮烈な感動はもうなかった。
 1967年、絶望の中で藻掻いている時、この本には確かな何かがあった。ジャズも、文学も、生きることにのたうち回って苦しんでいる時でないと、心に響いてこない「何か」があるのかも知れない。それにしても、もう50年も昔の話になるのだ・・・。

 「蒼ざめた馬を見よ。これに乗るものの名は死。黄泉これに従う。」出典はヨハネ黙示録出そうだが、幸いにして知らない。
 まだ読んでない人に一読を勧める。
 全く色あせていない。

  もう1冊、「生命の星の条件を探る」も取り寄せて貰った。筋萎縮症に苦しむ東大准教授阿部豊さんの本だ。病魔に自由を奪われ、ベッドから星空を見る事を強いられた一人の科学者が、宇宙はどう考えているのか、読んでみたい。

 車椅子の天体物理学者スティーヴン・ホーキングと読み比べてみるのも楽しいのかも知れない。

 カッサンドラ・ウィルソンのCDを引っ張りだし、聴いている。

さらばモスクワ愚連隊

2015年08月30日 風の戯言


 高柳・萩の島の田圃に粋な案山子があった。

 些か唐突に現れた風景に思わず車を止め、こんな悪戯をする奴らと酒が飲みたくなった。
 高柳には言い仲間がいっぱいいた。みんないい酒飲みだった。

 嬉しくなって、久し振りにじょんのびの湯に浸かってきた。

 湯の中で懐かしい顔に出会った。
 癌で20キロも痩せたという。

 もう40年にもなるだろうか ?
 彼が小さな店を、当時1億数千万も掛けて新築したのだ。
 彼は言葉少なに「俺には夢がある」と語っていた。
 
 何かをやろうとすれば、当初思ってもみなかった障害や条件が重なって押し寄せてくる。
 文字通り、俺にとっても命をかけた戦いだった。

 生涯を掛けて戦いきった男の、爽やかな姿がそこにあった。

 
 老兵は死なず、ただ消え去るのみ。

 「人生は酒だ!」
 と熱く語り合った時間が静かに流れてゆく。

精霊

2015年08月18日 風の戯言


 俺は死後の世界を信じない。

 しかし、霊はある、と思う。

 まだ盆の15日、肩の張りが尋常でなく、4月に亡くなった姉が俺の背中に負ぶわれ「西の入りの寺(安住寺)に連れてってくれ」と呟いていた。

 2,3日休んだら少し元気が出てきていたので、姉と一緒に夕陽の寺に行った。

 住職に、寺の本堂でお経を上げて貰い、姉の霊と、十六代の先祖達とここに眠る父母にお参りした。

 静かな時間が流れていった。

 お寺を出ると肩が軽くなっていた。

 「おさちゃん、ありがとう」と姉が呟き、「良かったね」と俺。

お盆

2015年08月13日 風の戯言


 お盆になった。

 先祖の精霊達が家族の元に返ってくるという。
 美しい日本の風習だ。
 いろいろな思いを地上に残し、旅立っていった精霊を迎える。

 俺は死んだら「無」に帰ると信じ、そこに現世の救いを確信しているのだけれど、死んでまで「霊」で纏わり付きたくないからね。

 考えてみれば、夜空に煌めく星たちの中で、どうしてこの星にだけ人間なるものがいるのか ? 子供のような疑問が沸く。
 人はアフリカの地を出でて、遙かな旅をしてきた。
 より住みやすい土地を求めて旅をし、慣れぬ環境の中で必死に生きようとした時に、知恵を得たのだという。
 動物の中で、人間だけが違う生物になっていたようだ。

 他の動物は生きるために他の動物を食べる。
 それは人間も変わりがないのだが、他の動物を繁殖させ、飼育して殺して食べる。変な動物 !

 戦後70年とかで、今一度歴史を見直す風が吹き始めた。
 曰く、日本が負けたのはアメリカだけであって、中国や韓国には負けていないんだ、だからゴチャゴチャ生意気言うな !

 いや、あのときは正しくとも、今の価値観から言えば迷惑かけたことは事実。もう一度整理し、未来に向かおうよ !

 日本の素晴らしさはアメリカの焼夷弾で無差別爆撃を受け、歴史上初めての原子爆弾の洗礼を受け、国内にアメリカ軍の駐留基地を提供しているのに、一言の恨みも言わない。
 まさに、悪人が一晩で聖人になってしまったような具合。

 歴史には表と裏があり、人間の言葉にも表と裏があり、本音の部分は簡単には出てこない。多分、心から愛する人にしか言わないのだろう。

 
 お盆で、俺もおかしくなったのかなぁ・・・

 写真はパラオの上空でセスナを操縦するワタシ !