立秋

2015年08月08日 風の戯言


 暑さの中に、少し和らぎが拡がっている。。

 そう言えば、今日は「立秋」
 夜の風が少し涼しくなった。

 一昨日は第四銀行の納涼会、そして昨日は会社のバーベキュー大会、ギターとフルートの演奏も入って、浜辺の夜を楽しんだ。

 今夜は、東京から帰ってきたばかりのころ、今の「新潟病院」の建設工事で一緒に働いていた女性軍達と近くの居酒屋で飲んだ。

 もう40年から50年近く昔の話になるのだろうか・・・。
 みんな初老のおばさん達になって、でも「時」を感じさせない。

 昔話と近況が入り交じって、時は自由に空中で乱舞する。

 いい、一日だった。

 今日はよく眠れそうだ。

ブルームーン

2015年08月02日 風の戯言


 鬼ヤンマが飛来し、アゲハ蝶が舞い、アブラ蝉が庭で羽化し,書斎の窓辺では若い稲穂が静かな海の波のように揺れている。

 近くの居酒屋で酔っ払った我を心配し、ブルームーンを語りながら、若い友人が田圃道を送ってきてくれる。

 夜はタヌキが畑のトマトをかぶり付きにに訪れ、収穫の手伝いをしていく。

 8月になった。
 昨日はお寺の盆うち、今夜は親戚のお通夜で懐かしい顔と「お元気でしたか」と語り合う。

 怒りや悔しさを風の中にまき散らし、無言で月を見ている。

 自然の中に溶け込んだこんな生活に酔い痴れている。

 写真は石塚誠さんのブルーナイトヨコハマ。
 手前の大型船は「飛鳥」か?
 遠くに「ベイブリッジ」が見える。

 我が青春の山下公園、大桟橋、沖中仕の生活が蘇る。

夏の風物詩 海の花火大会

2015年07月27日 風の戯言


 柏?の花火が終わった。

 民謡流し、神輿行列、海の花火大会

 3日連続の夏祭りは素晴らしい好天に恵まれ大盛会だったようだ。 「ようだった」というのはもうありバカ騒ぎの中心にいる体力気力が失せ掛かり、自宅にいてライブ中継を見ている程度。

 それにしても、夕暮れの花火は凄かったみたい、です。

 の本格的な夏が始まる。 

 写真は阿部裕子嬢 撮影のもの。
 ワインとシャンパンで相当な酩酊状態らしかったけれど・・・。

何時か再びパラオへ

2015年07月20日 風の戯言


 俺たちが泊まったホテルは台湾系とかで「煩い中国人」はいなかった。家族を連れた社員旅行なのか、割と家庭的で、その家族同士が知り合いみたいで、よくわからない旅行客で賑わっていた。

 写真は俺たちの部屋からみえる海。その美しい海に「ゼロ戦」が沈んでいた。倅が本で見た、とか言って潜ってみたら浅い海にゼロ戦があったという。

 パラオは美しい島だ。

 深い哀しみを静かに湛えているから、この島はなお美しいのかも知れない。

ベリリュー島

2015年07月18日 風の戯言


 ベリリュー島はパラオの美しき島々の海の果てにあった。

 ホテルの近くの「パラオ港」から高速艇で1時間くらい南西にある人口600人とも374人とも言われる小さな島。
 
 高速艇で行く海は、南の太陽に照らされて青く輝き、コバルトブルーに変化し、珊瑚礁の浅瀬では緑色やミルク色に輝く。

 島々は珊瑚礁が隆起し、島の裾は潮風に洗いとられ、オーバーハングの自然の防御壁になっている。
 コロール島とベリリュ−島の間にあるロックアイランドは2012年7月に世界遺産に登録されたのだという。

 この世のものとは思えないパラオ諸島の中でベリリュー島が何故激戦の舞台になったのか ?

 当時日本の委任統治領であったこの島に日本はアジア最大の飛行場を築き、北西太平洋の作戦拠点としたらしい。

 ベリリュー島の大抵抗戦=玉砕戦が、硫黄島に続き、沖縄に続き、原爆に続くのです、と友人は教えてくれた。

 ベリュリュー島は、悲しみの島です。良くぞ、陛下はご訪問なさったと思っています、と続けている。

 この島の南端に「西太平洋戦没者の碑」がある。

 俺はこの碑に冷えたペットボトルを1本供え、ただ静かに頭を垂れることしか出来なかった。

 戦争とはなんだろう ?

 戦争を仕掛ける人達には、体ごと破砕され、遺骨の収集も顧みられない「兵士」は、個性も人格もない、俺が子供の頃飼っていたニワトリと同じ物でしか無かったのかも知れない。

 悲しいね。

 終戦後、いや敗戦後・・・やっぱり終戦後か、70年経とうとしている。
 俺は当時3歳だった。
 小さな提灯のような電球を覆う長い傘の下で、親兄弟達がヒソヒソと話していたことを思い出す。
 「アメリカ軍はカミナリみたいなものに乗ってきて、日本人を片っ端から皆殺しにするのだそうだ。
 子供心に、凄い恐怖だったことを今でも思い出す。

 先人達が自分の命と家族と夢を犠牲にしてやっと掴んだ「平和」を俺たちも未来に繋げていかなければならない。

 「平和」
 南の島々で、そんなことを考えていた。