人が真ん中 学園都市 原稿のメモ
人が真ん中 柏崎観光
平成九年九月九日、重陽の節句。今年もまた片貝の花火が見られた。幸せだった。
さまざまな人達が一年の様々な思いを込めて花火を打ち上げる。感謝と祈りと叫び。片貝の総鎮守浅原神社への奉納花火と言う祭事の形を守り続けている。
歴史は古く江戸時代の中期から村人たちが手製の花火に熱中し、明治二十四年には三尺玉、そして昭和六十年には世界一と豪語する四尺玉を打ち上げ狂喜乱舞している。一瞬に数着万円の花火を爆散させ、涙を流しながら抱き合っている老齢の少年たち。
そのばかばかしさに惹かれ町に紛れ込んでみると、ここだけ特異な「ラテン系日本人町」の人達の暖かさがうれしい。魅せられて二十数年通い続けている。
きっかけは四尺玉の本田善治さんとの出会いから始まった。昭和五十年代初めの頃小千谷の雪原に熱気球が舞う夢に取り憑(つ)かれ、孤独な空回りをしていた時期があった。
小千谷人の懐の大きさなのだが、やがて声援を送ってくれる人達が出来、当時の星野市長から本田さんに会えとの指示があり片貝を訪ねた。初っぱなから意気投合し時間を忘れて新しい早春の祭りを創る「仕掛け」に熱中した。楽しい思い出である。
一言で言えば本田さんは「すごい人」だった。人口七千の町で「父ちゃん」で通り、ウワバミのように酒を飲み厭(あ)きることなく祭りと花火を語り続けた。だが。私が一番好きなのは戦時中の軍と渡り合い、禁止されていた花火を上げさせ、思い残すことなく戦場に向かったと言う伝説である。彼は自分の事は多くは語らない。目を潤ませながら、誇らしげにその話を教えてくれたのは市役所の若い職員だった。芝らしい人達がいる。
本田さんが亡くなってもう何年になるのだろう。毎年この祭りが来ると彼に会いたくて片貝に引き寄せられる。主のいない家を訪ね。奥さんの「また来たね」の言葉を強請(ゆす)りに行く。この町に暮らす人達のぬくもりが、今も自分には必要なのだろう。
本題に入る。
正直言えば、私は観光と言う言葉はあまり好きではなかった。何か、他人の財布を薄目で覗いているような感触が厭(いや)だった。自分の生活圏を園もゆかりもない人達に踏み荒らされたくないのも一因だったろう。ザイゴモンだからしょうがない。
最近、本気になって「観光」を考え始めている。地域経済にとって重要な「外貨」獲得手段の観光として。
人は何故旅をするのか。
「みやげ」とは何か。最近の答えは晃だ。「人はやはり寂しいのだろう。だから人とのコミュニケーションの糸口として「土産」が有り、心の深いところでの共鳴には同じたびの経験が必要なのだろう」と。
「万里の道を旅し、万巻の書を読んだ者同士だけが真に話し合える」中国にそんな言葉があったようだ。
回れ右して観光の話だけれど、やはり最近になって「最高の観光資源は人」だということに気が付いた。観光にとって「風光明媚」は絶対条件ではない。景色や施設に頼っていては「人」の存在理由がない。自然や組織や建物ではなく、ホスピタビリティあふれる「人が真ん中」でなければ、思いも魂もゴチャマンも通じない時代になっている。現代人は、病み、つかれ、深い癒(いや)しを求めているからだ。傷ついた旅人の心を支えてくれるのは、結局は人の優しさだけなのかもしれない。
組織は人の集団であり、人を繋げるものは不安定な心であり、しつけ糸一本抜けるとバラバラになる。有能な人を「真ん中」にした組織は、そこで働くみんなが活き活きしており、訪れる人の心を癒し、幸せにしてくれる。
実は、俺のこころも傷ついているんだが……、誰か……
不信の構造 2008年原稿メモから
原発のメンテナンス現場から沈痛な呻き声が聞こえてきている。震源は友人の会社であってその点は極めて個人的なの話なのだが、同時に地域としても根元的な安全に関する問題が内在している。
原発のメンテナンス現場で、今何が起きているか聞いていますか。
プルサーマルの問題も平沼経済産業相が柏崎刈羽原子力発電所を視察し、何となく「国もようやく本腰を入れ始めたか」との感もあり、一件落着が近い雰囲気が漂っている。しかし、刈羽村の住民投票の結果が意味するものとは、大臣が乗り出したから直ちに解決するようなそんな簡単な「不安」ではない。経済にも深く関わる問題だけに、長い間封じられてきた行政と東電と自分自身に対する不信感がマグマのように吹き出したと言っていい。固定化した賛成・反対の相互不信の中で、不毛な討論だけが飛び交い、地域に「不信」が澱のように沈み込んでいる。行政と東電は血の出るような説明をしてきたのか。商工会議所は血の出るような議論の末に「賛成」したのか。我々は自ら納得するまでの情報を集め、勉強したのか。自分自身に照らしてみれば、いずれも「NO!」であったように思う。
私は先人たちが血尿の末に下した結論に従う。但し、自分の目は失わない。
この国の技術水準からいえば大きな事故の心配は無いだろうと確信している。ただ私が危惧を感じるのは、マスコミ報道と現場の直向さとのギャップだ。人は病気になり、機械は疲労する。だから医療やメンテナンスが必要となる。治療・保守と事故の区別のない一方的なマスコミの「事故報道」に現場は何時か無力感に陥らないか。仕事への熱意と誠意が失われた時、「システム」は崩壊する。取り返しのつかない惨事が起きなければいいが・・・。
その恐れから私は何年も前から原発サイトの「映像による情報公開」をお願いしてきた。その手段としてのCATVの実現を夢見て、自分の非力も省みず何年かの無駄な努力もしてみた。「明るい昼間に、お化けの出た例しはない」と。自ら正しいと信ずる現場のリアルタイム映像は格段の説得力を持つハズである。この情報化の時代に、直接我々に「生のママの映像」で話し掛けることなしに、何故マスコミとの不毛な戦いを続けてきたのか、不思議でならない。
もうひとつの不安は冒頭の「現場からの呻き声」だ。経済の国際化により「国策」である原子力発電事業所もコストカットが至上命題になっており、あらゆる知恵を絞り「無駄」を省くためにどの企業も死に物狂いの努力を強いられている。しかし、「何が無駄なのか、何がコストカットの対象なのか」と私は思う。大幅なコストダウンを要求されたとき、何をどう合理化し何処をカットするのか。組織にとって一番痛みが少なく、安易な方法は外注費を削ることになる。下請けに選べる道は多くない。しかし、最先端の現場を担当している下請けは実質的な品質保証を強いられながら実働時間は不安定になっている。メンテナンスのサイクルは長くなり、しかも作業は短期間を要求される。仕事が不定期になり実稼動しか下請け賃金の対象にしかならず、高度な技能集団が待機保障もないとしたらどうなるか。ある経営者は空き時間の有効活用で苦悶し、またある経営者は当座の作業員の頭数だけ揃える。経済原則から言えば経営は常に結果責任であり、後者を不誠実とは言い切れない。しかし、誠意ある有能な現場技術者が安心して仕事に打ち込める生活保障体制と評価制度が無いとしたら、そして地域と企業が次世代の優秀な技術者を育てられないとしたら・・・。原発現場の心の空洞化。そのことにより原発のメンテナンス現場で何が起きているか。
最小の経費で最大の効果。これは経済原則だ。しかし、安全を守るためのメンテナンス作業が、現場の経費実体を無視したコストカットに晒されているとしたら「安全」には限度がある。必要な経費は削除すべきではない。どうしても経費削除しなければならないとしたら、現場から遠い間接経費からではないのか。現場の技術評価と技術屋の心を無視していたら必ず取り返しのつかない事故が起きる。
東京という世界最大の都市のために安いコストの電力を提供することに異論はない。しかし、そのコスト削減のために、この土地に生き続けなければならない我々が不安に晒されるとしたら、そのシステムは間違っている。経済とは共同体の全員が僅かな時間の人生を全うできるシステムのハズだ。あえて暴言を吐くならば、柏崎刈羽原子力発電所を地元自治体で接収し、ここに住み続ける企業と技術者で運営し、不安の根源を絶ち、名実ともに運命共同体として孫子の代に伝えてゆくしかないのかも知れない。「信なくば立たず」信なくば、その企業は地域に存在する価値が無い、と思う。
地域の信頼を呼び寄せるために下記の提案をしたいと思う。
1. 地域技術会社の採用による安全性の確保
2. 映像等による情報の公開
3. 電子入札による物資・サービスの条件付き一般競争入札制の採用
苦境にも関わらず、与えられた自身の業務に誠実に対処している現場技術者への敬意を込めて、この一文を書いた。御批判を乞う。