悪さ古稀の時代  原稿メモから

2015年03月03日 風の戯言

悪さ「古稀」の時代 新
石塚修

 いつの間にか古稀が近づいていた。
 俺が「古稀」ねぇ・・まだ「あんちゃ」だと思っていたのに、残り50年もないのかぁ。
 両親ともに短命で、その親の祈りか、自分達兄弟姉妹は7人とも健在で長姉は90歳になる。時折電話すると日本古代史の話に花が咲いたりする。だから、ヒョットすると後50年も満更・・・。
 2020年2月21日、「70歳死亡法案」が可決された。日本国籍を有するものは70歳の誕生日から30日以内に死ななければならない。と、そんなギクリとする小説が発売されている。現代版「姥捨山物語」で、些かむかつきながら読み進めている。そんなバカなと思いつつ、ただ現代の財政のままではやがてみんなが「地獄」に落ちざるを得ない。今の統計を見れば、そんな未来も案外間違ってはいないのだろうが、なんか、嫌な本だ。
 これから、静かに議論を呼ぶのだろうが、まだもう少し時間がある。元気な今の中に、好きな酒を楽しむことが最優先される。「酒乱生人生論」を掲げた者としての責任だ。
古来、人間は酒に溺れてきた。
酒乱学史的に言えば、酒を飲むことに歓喜を叫んだ動物が人類に進化したのだと思う。、我らはその末裔のだが、考えてみれば、酒を飲むと言う行為は人間特有の文化ではないかと思う。一杯の酒の為に、人を愛し、人を騙し、泣き叫び、笑い転げてきた。酒乱とか錯乱と言われる中で、飲酒後のその精神的不安定性から自己欺瞞するために哲学が求められた。ただ、一度だけの生、「人生如何に生くべきか ? 」と真剣に考えたら酒に行き着くしかない。
只一度だけの生、後ろ向きの、暗い酒では何の解決にもならない。青春の彷徨の記憶がまだ黒い影となって残っている。東京での崩れた学生生活から柏崎に帰り、建設現場で頭ではなく身体全体で生きることを教わった。汗にまみれ、酒にまみれ文字通り裸の付き合いは、多くの仲間を創り、「柏崎熱気球苦楽部」が動き出し、冬には職人達による老人宅の雪堀支援「雪援隊」が活躍し、そして[パソコン村]が生まれた。

坂本龍馬の海援隊、中岡慎太郎の陸援隊、そして石塚の雪援隊は多くの人達に喜ばれた。市から雪に潰されそうになった老人宅の雪堀補助金が出て、中鯖石・南鯖石の冬場仕事の出来ない職人さん達を、雪堀に動かした。当時冬至手に入れたばかりの熱気球は日本2番目の手製熱気球を目指しながら、大久保神社に集まって酒を飲み、夢を語っている中に6番目になってしまった。熱気球の仲間は全国から集まり、京大や同志社等の関西勢、筑波大や慶応等の関東勢が我が家の庭の15坪のプレハブ小屋「柏崎気球会館」に50人もが集まり、昼間は越後の空を飛び、夜は寺泊のカニと日本酒で盛り上がり、学生達の熱気で「酒乱性人生論」の臨時講義が始まる。「人生如何に生くべきか」は「旨い酒を飲むためにどう生きるか」と翻訳できるのだ、と超理論の講義はいつも行き成り絶好調を迎える。「美味い酒が買える「仕事」を大切にしろ、自分の「話の泉」を持て、そして飲み明かしても語り尽くせぬ「心友」をもて・・・」と。
健全な酒は、日本の若者を、素晴らしい未来に旅立たせる。
「風船一揆」もみんなで酒を飲み、みんなで夢を語り、やがて夢は次第に形になり、大空を駆け巡るようになった。日本2番目を目指した熱気球は、大久保神社で生まれ、大洲で初係留に成功し、中鯖石から飛び立った気球は北条の山で行方不明になり、墜落した場所から再び立ち上がった気球は風の中を舞い、小千谷市小粟田原に降りた。
当時の星野行男市長、4尺玉花火の本田善治さんや多くの人達と夢を語り、春を呼ぶ風物詩「小千谷雪原祭り」が始まり、今年は第36回「風船一揆」が開催されることになった。  
36年間、小千谷市役所、商工会議所、観光協会、各町内会、ロータリクラブやライオンズクラブ、みんなが一緒に冬の祭りを創り、楽しんでいる。
45歳で建設業から情報通信サービス業に転身し、25年目を迎える。そして今年は「古稀」。真面目に生きてきたつもりだが、人は「ワルサ古稀」だという。

海の柏崎、海水発電は夢か ? 原稿メモから

風の戯言

海の柏崎、海水発電は夢か ?
石塚 修
3.11東日本大震災から3年が過ぎた。
震災3ヶ月後の現地は凄まじく、地震と津波に壊滅させられたあの光景を忘れることは出来そうにもない。様々な人生と歴史を育んだだろう街も集落も消滅していた。田畑に草が生え、残った人家にも人影はなかった。
特に、福島原子力発電所から20km地点に設けられた南相馬の検問所には大きなショックを受けた。柏崎刈羽原子力発電所の軒下に棲む者として、単純な話ではない。
「チェリノブイリ ⇒ スリーマイル ⇒ カシワザキ」との暴言を吐き、大顰蹙を買っていた時もあったが、「フクシマ」で現実のものになってしまった。柏崎刈羽原発も中越、中越沖地震と続く震災で大きな被害受けたけれど、「大事」には至らず、「安全神話」は生き続けていた。「経済的恩恵」の中で、考える事を「麻痺」させていたのかも知れない。「フクシマ」の後、「想定外」という言葉から現実に引き戻された。100%の安全はあり得ないことなのだ。そう言えば、あの地震の後の「補修」は大丈夫なのだろうか。
火力発電所の原油輸入による負荷は日本経済を大きく変えている。安倍政権の下で「原発再稼働」が現実味をおびてきている。本音を言えば、「フクシマ」の現場を見た身には柏崎刈羽原発は再稼働して欲しくはない。しかし、「廃炉」は正しいのか?
原発に賛同し、建設に参加した者として荒浜のあの広大な原発敷地が廃墟になるは見たくない。「廃炉」と「再稼働」の間に何かないのか。原発を「再稼働」させてもやがて耐用年数が過ぎ「廃炉」の季節が来る。ならば「再稼働」の先に「新しい発電所」を再構築出来ないか。
もし可能ならば、地元の経済人の1人として、次の安全な発電が出来るまである期間は耐えよう。ただ、いつ来るか判らない災害におびえ続けることになるのだが・・・。
柏崎刈羽原子力発電所の灯りを見ながら時折考えることがある。
この土地で生きていくために、豊かな経済が必要だ。柏崎の既存の産業を成長させ、更にこの土地でしか出来ない自主自立の産業を育て、雇用を生みだし、老若男女の笑い声が響き合う「柏崎・刈羽」をもう一度再現できないのだろうか。みんなが目を輝かせて夢を語り合う「柏崎・刈羽」をもう一度取り返せないのだろうか、と。
柏崎刈羽原子力発電所の灯りを見ながら時折考える。
核燃料の代わりに、目の前に拡がる「海のエネルギー」を使えないものかと。海水から水素を取り出し、燃焼させれば、また水に戻る。「万能細胞」の例もある。不可能を可能に出来る時代が目の前に来ている。そして、海は世界に拡がっている。
柏崎は石油、原子力と続くエネルギーの町である。「海」を次世代の新しいエネルギー源として活用する世界的な研究・実験・実現都市・柏崎の再生が出来ないのか。
人は夢があれば生きて行ける。それと・・・お金と・・・。

風船一揆36年 原稿メモから

風の戯言

「風船一揆」36年
石塚修
大雪の中、小千谷の「風船一揆」が近づいてきた。
雪国の春を呼ぶ風物詩として多くの人達に愛され、今年は36回目を迎える。
2月25,6日、今年もまた全国から40機の熱気球が集まり、白い大地と青い空に色鮮やかな花が咲き、会場から大きな歓声と響めきが上がるのだろう。山本山の麓、西中の会場から飛び立った熱気球は、小千谷の街の上空を越え、悠々と長岡や越後平野まで雪の大空を飛び続ける筈だ。
夜は市内の平沢会場に10機近い熱気球が大きな提灯のように浮かび上がり、会場に設営された多くの屋台には見物客たちの賑やかな話し声が広がり、昼間から陣とったカメラマン達の熱いシャッター音が聞こえてくる。
小千谷との縁が生まれたのは、神に導かれたような、初期のフライトから始まる。京都大学の「イカロス5号」に続き、日本2番目の気球を目指した「かぐや姫」号が飛行実験を繰り返していた頃、中鯖石のグランドから飛び立った熱気球は北条の山に消えた。探し求めて、やっと操縦者達と出会えたのは東長鳥の山の奥だった。聞けば、燃料が尽きて崖の上にせり出した木の枝に止まり、最後の一炊きで谷の底の藪の中に降りられたという。一つ間違えば日本で最初の死亡事故になっていたとしても不思議はなかった。追跡隊が合流し、プロパンボンベを交代で担ぎ上げ、そこから飛び立てたのは運が良かった、というより神が見守っていてくれたように思える。語るうちに、遠い記憶が蘇ってくる。
再び大空に浮かび上がった「かぐや姫」は、誇らしく、風に舞い、車で後を追いかける我々は全身を突き抜けるような感動の中で、意味の分からない絶叫を繰り返していた。
熱気球は小千谷市小粟田原の稲刈りが済んだばかりの田圃に降りていた。大勢の人達に囲まれ、照れくさそうにしていた仲間達の顔が今も忘れられない。
翌年の3月、雪の上を飛びたいという全国の仲間達と「風船一揆」が始まった。
当時の星野行男市長、4尺玉花火の本田善治さん、市役所の丸山係長、商工会議所や飲食店組合の方達、ライオンズクラブや町内会の方達、多くの人達と夢を語り、「風船一揆」は春を待つ祭りとして大きく育っている。実行委員会を取り仕切るのは朝日木材の金子修一氏で、彼と新潟県内の「越後風船共和国」メンバーがこの大きな大会を支え続けている。
 夜のイベントの後、サンプラザで気球関係者、市長や市内の人達、ツアー客が混じり合い、300人ほどのパーティが夜遅くまで続く。会場では「春よ来い!」の大合唱が沸き上がり、パーテーの帰の人通りの少なくなった町中のあちこちからも春を待つ歌は聞こえてき、雪国の夜は更けていく。
 大雪の中でも、春はもうそこまで来ている。

70歳死亡法案可決! 原稿メモから

風の戯言

「70歳死亡法案 可決 ! 」
石塚修

 2020年2月21日、衆議院特別委員会は「70歳死亡法案」を賛成多数で可決した。これにより日本国籍を有するものは誰しも70歳の誕生日から30日以内に死ななければならなくなった。政府は安楽死の方法を数種類用意する方針で、対象者がその中から自由に選ばれるように配慮するという・・・・と、そんなギクリとする小説が発売されている。著者は垣谷美雨。2012年2月。幻冬舎。  
財政破綻寸前の日本政府は、高齢化により70歳以上が30%を超え、国家財政の行き詰まりを解消するために「死亡法案」を強行採決した。法案は2年後から施行され、初年度の死亡予定者数は既に70歳を超えている者も含めるために約2200万人に達し、次年度以降も毎年150万人前後で推移するという。
いつかこんな議論が始まるだろうと予測していたが、やはり出たか、という感じの本だ。本の帯に、「日本のために死んで下さい」、「2年後、やっとお義母さんが死んでくれる」とある。本音が出過ぎていて、怖い。
古来、不老長寿は最高の願いであった。しかし現代、「長寿」は本当に幸福なのか? 人間が必死になって求めてきたものに、今は疑念を超え、絶望すら感じ始めている。
3.11東日本大震災が与えたものは「人は努力すれば幸せを掴むことが出来る」という神話の崩壊だろう。大災害や戦争で日常を奪われ、絶望の淵に追い詰められたことは何度かあったが、人は未来を信じ不死鳥のようにまた立ち上がり、以前よりも大きな幸福を掴んできた。だが3.11以降、その価値観が根底から揺らいでいる。

日本の高齢者は3000万人を超えたと言われ、世界の人口も70億を超え、2050年には90億人が予測され、人間から食料と夢を奪おうとしている。
人間は「老衰による自然死」こそ人間の理想と考えてきたけれど、現実は多くの人はベッドで横たわる「植物人間」で最後を迎えることが多くなった。長寿が「幸せ」だと信じるから医者は自らの使命に心血を注ぎ、親族は介護に多くのエネルギーを割いてきたのだけれど、しかし、今それは「みんなにとって幸せ」なのか。
人生とは何か? 
新たな問い掛けが始まっている。生きる意味は何処にあるのか。人は皆その問いに自分の答えを見つけ出さなければならない。「人生は無」だろうけれど、絶望の先に微かな未来があった。人間の最終死亡率は100%、何時か必ず死ぬのだから「生きている、今」を大切にしなさい。結局それしかないのだろうけれど、今は虚しさすら漂わせはじめている。
願っていた「長寿」が実現し、心の密度は薄くなってしまった。「姥捨て山」ではない、与えられた生命を全うできる「何か」が必要なのだ。
俺も、もう70歳を過ぎてしまった。 

極上のワインは命に勝る。 原稿メモから

風の戯言

極上のワインは命に優る、と言いますよね、知ってる?
まぁ、酔っ払いの戯言ではありますが、我が「唯酒論」の立場から言えば自明のことなんです・・・「酒乱性人生論」をご存じない? 知らねぇぞそんなのって・・・あぁ、貴方は不幸な人だ。
長い間、人間をやっていると人生のどこかで「人生とは何だ?」なんて考えるものです。ナニ? 考えたことも無い? 話にならねぇな、まぁいいや。「人生とは何だ?」とか「人生如何に生くべきか?」なんて考えたとします。答えは出ない。出るはず無いじゃないですか、設問が間違っているんだもの。いや、ごめんなさい、このややこしい問題を「美味い酒を飲む為にどう生きたらいいか」と読み替えてあげれば答えは案外と簡単なんです。「酒乱性人生論」なんて高度に知的で難解な哲学に聞こえますが、なにA4一枚にも満たない人生論なんです。2ページ目からは白紙で、それは貴方が書き記してゆくところ、そう行動でね。議論だけを楽しみ、結局何もしないってのは寂しすぎるよ。
「人生如何に生きるべきか」という問いを「美味い酒を飲む為にどう生きたらいいか」という問いに置き換えてやると知的で行動力に富んだ答えが見つかる。例えばお酒を買う為に経済的行為として働く必要がある。給与はそこそこでも楽しい仕事がいい。そして此処からが肝心なのだが、時間を忘れて飲める仲間が必要だね。君子の交わりは水の如し、と言うけれど心を許せる友達は何ものにも代えがたいね。それにね、話の種、こいつが大切だ。万里を旅し万巻の書を読んだもの同士が語り合える、なんて言葉があったと思うが、そいつだよ。まぁ、何でもいいんだけどね。
 「唯酒論」なんて馬鹿な話をしてるようだけど、そうそう、人間と動物の境界って何処か知ってますか? そう、酒を飲むか飲まないかなんですよ。猿酒? あれはウソ。仮にそれを認めたとしてもですね、税金払って酒を飲む、まして夜の巷で大金はたいて酒飲んでいるなんて人間だけだね。俺の知ってる限りだけど・・・。逆に言えば酒を飲まねぇ奴は人間じねぇ、ってことになるんだけど、理論上多少無理があるかな。
 また脇道に反れるけど醸造酒は文化的で蒸留酒は文明的、そんな感じしませんか。醸造酒は神の領域に関り、蒸留酒は化学製品って感じなんだけれど、ただどちらも長い時間寝かせると、ビックリするほどの化け方をする。時間って不思議だよね。全てのものが変化する。
 そうそう、トンネルワインの話だった。あ、これも説明が必要だね。柏崎には「ぶどう村」がありワインを作っている。笠島には旧信越線の赤レンガのトンネルがそのまま残されている。この2つは単独でも面白いのだが、ビーカーの中で掻き混ぜると化学変化を起す。柏崎には面白い「元素」が一杯あってね、巧く組み合わせると核融合が起きる可能性がある、そう思いませんか。面白い町ですよね。また話がそれてしまった。
 「ぶどう村」の2002年もののヴィンテージがいける、そんな噂を耳のしたのは昨年の秋だった。ふぅーん、ぶどう村のワインがねぇ、飲んでみっか。その直後、新潟産業大学の村山実教授と雑談しているときに、「時間の缶詰」と言う話題になった。地方が都会に勝つ手段は時間を利用することだと。地価の高い都会では絶対不利な条件、資本回転率が低くても勝てる方法、それは「時間」による付加価値の増加だと。真似を考えても追いつくことが不可能なのは時間だと。ワインとトンネルが化学反応起した瞬間だった。  
善は急げ、行動は早い方がいい。早速中村和成氏が動き出した。悪戯な悪童がそのまま大人になった様な男なのだが、楽しい話なら1を聞けばもう走り出している。世の中、やってみなくちゃ判らない。失敗も多いけれど、それはそれで楽しいことなのだと。
市役所農林水産課の内山課長に聞いたら笠島のトンネルが空いていると。ぶどう村の遠山氏に無理を頼んでワインを数百本(100以上は「数百」、300以上は「1000近い」と言う気持ちとしての単位表現)トンネル内に貯蔵してもらった。村山教授は自作の温度計と湿度計を設置し記録し始めた。芳醇な香りの想像が頭を占拠し、神の祝福が始まった。
美味いワインは長い静かな時が必要だという。短くて5年、出来れば30年は神の懐に抱かされて、我らの喜びの時を待つ・・・たまらねぇ! 
「オイ! 5年も待っていたら死ぬぞ、それにさ、美味さが時系列でどう変化するか、こいつはきっちり調査しておかないと後悔するぞ」って春先から騒ぎ出した。「3ケ月で美味くなるわけないだろう、落着け!」課長はそう言って渋い顔をした。あいつは人間じゃねぇ。
秋になった。ワインの新酒の便りが届き始めた。「もう、待てねぇ、少しだけ!」ある会で話の種に何本か並べてみた。レッテルに薄らとカビも生えている。一口含んで「通」が言った。「ほぅ、いいねぇ。スペインのワインのような・・・」その先はもういい、美味いことは確かなようだ。俺達も飲んでみた。「馬鹿いい具合じゃねぇか!」
嬉しくって、もうこうなったら突っ走るしかない。柏崎風の会、トンネルワインシンジケートの名で仲間内に呼びかけて試飲会を開いた。大成功だった。柏崎のワインを見直し、洒落たコメントをつけてみんな大騒ぎし、楽しい時間が流れていった。
正式なソムリエの飯塚信雄さんの一言が忘れられない。「ワインはその年の天候によって味が変わります。よく出来た年も、不出来な年もあります。ワインはその年のことを思い出しながら味わう、それが一番大切なことのように思います」
この年、何があって俺は何していたのだろう。2002年のヴィンテージが注がれたグラスを眺めながら、俺は眩暈がしそうになった。何にも覚えちゃいないんだ。

酒は百薬の長と言う。それは半分正しくて半分は大嘘だ。でもそれは身体にではなく、涙を拭きながら走り続けている人間への、神の励ましという意味なのかも知れない。