謹賀新年
元日は神社とお寺の2年参り、午後からは集落の新年会、兄貴の家への新年挨拶。
2日は寝正月。
3日は子供達もそれぞれの家に帰り、元の老夫婦の侘び住まいに戻った。
暮れの休みに入ったときは精神的バランスを崩し、関東の青空が見たくなって山を越え群馬へ。
雪のない風景に魅せられて、藤岡から長野自動車道路を走って米山インターで降りたら高速料金は340円。
3回目の実験成功 !
得意になって、でも考えてみたら、暇人が何を馬鹿なことをやっているのか、と落ち込んでしまった。精神的治療失敗。
昨日久し振りに炎加世子を思い出した。
もう、4,50年前の話だけれど、彼女はこう言った。
「人生なんて、死ぬまでの暇つぶし・・・」
それまで自分では「ニヒリスト」を気取っていたけれど、この言葉に打ちのめされた。ポジティブ・ニヒリズムも台無しだ。
過去は、悔悟の荒海。
未来は、怒濤渦巻く不安の海。
生きている間は、余計なことを考えずにトコトン頑張るより他ないんだろうな、と最近思い始めている。
窓の外は雪。
やっぱり関東の青空と、青い海が恋しい。
沢木耕太郎
文春新年号「高倉健 最後の手記」に寄せられた「深い海の底に-高倉さんの死」という寄稿を読んで、久し振りに沢木を読みたくなった。
小説の舞台となっているマカオも懐かしいけれど、物語のスタートが返還前日の香港、あの歴史的な事件の前後6日間を、自分の体験ではないような記憶が蘇る。
ペニュンシュラの一室で、チャールズが式典会場を離れる目撃していたのだけれど・・・。
カウントダウンの一瞬を、期待を込めて群衆に交じっていたのだけれど、静かに時は流れて行ってしまったのを思い出す。
今日は雨っぽい雪。
空は少し明るくなってきたのかな。
古い昔のことを、同時に思い出している。
北条の深沢から広田に向けて、船岡山を崩して道を作る工事。山の下に染み出す湧き水を集めるために「蛇籠」に詰める玉石を、背中の籠に入れて雪道を運んでいた。来る日も来る日も、2ケ月くらい雪空が続き、俺は何をやってんだろうと、本当に暗い気持ちに落ち込んだ時期があった。
あれから50年近くが経つ。
窓に、陽が差してきた。
雪の降る街・・・
雪の降る街を・・・
じょんのび村からの帰り道、前後の脈絡もなく歌を歌い始めていた。
雪の降る街を 雪の降る街を
想い出だけが 通りすぎてゆく
雪の降る街を
遠い国から おちてくる
この想い出を この想い出を
いつの日か包まん
あたたかき幸福(シアワセ)の ほほえみ
歌詞はほとんど忘れているけれど、メロディは消えない。
なんで、突発性記憶回復が起きたのかなぁ・・・。
思い当たるのは文春新年号に掲載された沢木耕太郎の「深い海の底に−高倉さんの死」に、妻であった江利チエミが童謡を歌うシーンを思い出していたのだろう、と思う。
窓から雪景色を見つめていると、得体の知れない悲しみが襲ってきた。
今、ロスラテーノスの「太陽への道」を引っ張り出して聴いている。
おおらかで暖かい、アンデスの心が伝わってくる。
生きる希望は深い悲しみの中に築かれるものなんだろう。
第1回公判
天下のNECを起訴した第1回公判が東京地裁で始まった。
普通、裁判所なんて入ることがないので、態度に似合わず緊張していたらしい。
初回なので顔見せ的な儀式で予定時間は10分、それが5分程度で終わった。
でも、疲れたぁ・・・。
後は弁護士に身も心も預けて、結審を待つのみ。
根性 !