謹賀新年 

2015年01月03日 風の戯言


 2人の家族が8人になって、賑やかな寝正月になった。

 元日は神社とお寺の2年参り、午後からは集落の新年会、兄貴の家への新年挨拶。
 2日は寝正月。
 3日は子供達もそれぞれの家に帰り、元の老夫婦の侘び住まいに戻った。

 暮れの休みに入ったときは精神的バランスを崩し、関東の青空が見たくなって山を越え群馬へ。
 雪のない風景に魅せられて、藤岡から長野自動車道路を走って米山インターで降りたら高速料金は340円。
 
 3回目の実験成功 !

 得意になって、でも考えてみたら、暇人が何を馬鹿なことをやっているのか、と落ち込んでしまった。精神的治療失敗。

 昨日久し振りに炎加世子を思い出した。
 もう、4,50年前の話だけれど、彼女はこう言った。
 「人生なんて、死ぬまでの暇つぶし・・・」

 それまで自分では「ニヒリスト」を気取っていたけれど、この言葉に打ちのめされた。ポジティブ・ニヒリズムも台無しだ。

 過去は、悔悟の荒海。
 未来は、怒濤渦巻く不安の海。

 生きている間は、余計なことを考えずにトコトン頑張るより他ないんだろうな、と最近思い始めている。

 窓の外は雪。

 やっぱり関東の青空と、青い海が恋しい。

沢木耕太郎

2014年12月23日 風の戯言


 「波の音が消えるまで」
 
 沢木耕太郎の新刊に沈んでいる。

 文春新年号「高倉健 最後の手記」に寄せられた「深い海の底に-高倉さんの死」という寄稿を読んで、久し振りに沢木を読みたくなった。

 小説の舞台となっているマカオも懐かしいけれど、物語のスタートが返還前日の香港、あの歴史的な事件の前後6日間を、自分の体験ではないような記憶が蘇る。
 ペニュンシュラの一室で、チャールズが式典会場を離れる目撃していたのだけれど・・・。

 カウントダウンの一瞬を、期待を込めて群衆に交じっていたのだけれど、静かに時は流れて行ってしまったのを思い出す。

 今日は雨っぽい雪。

 空は少し明るくなってきたのかな。

 古い昔のことを、同時に思い出している。

 北条の深沢から広田に向けて、船岡山を崩して道を作る工事。山の下に染み出す湧き水を集めるために「蛇籠」に詰める玉石を、背中の籠に入れて雪道を運んでいた。来る日も来る日も、2ケ月くらい雪空が続き、俺は何をやってんだろうと、本当に暗い気持ちに落ち込んだ時期があった。

 あれから50年近くが経つ。

 窓に、陽が差してきた。

冬至

2014年12月22日 風の戯言


 最近、空の機嫌が良くない。

 先日の爆弾低気圧が過ぎて喜んでいたら、また凄いやつが北海道に寄りかかっている。

 地球温暖化、なんて何処の話なんだ !

 今日は冬至、12月も残り10日ほどになり、無理矢理「春が近づいた」と喜んでいる。かなり、苦しいけれど・・・。

 関東の、青い空が見たい・・・。

雪の降る街・・・

2014年12月13日 風の戯言

 雪の降る街を・・・

 じょんのび村からの帰り道、前後の脈絡もなく歌を歌い始めていた。
 
  雪の降る街を 雪の降る街を
  想い出だけが 通りすぎてゆく
  雪の降る街を
  遠い国から おちてくる
  この想い出を この想い出を
  いつの日か包まん
  あたたかき幸福(シアワセ)の ほほえみ

 歌詞はほとんど忘れているけれど、メロディは消えない。

 なんで、突発性記憶回復が起きたのかなぁ・・・。

 思い当たるのは文春新年号に掲載された沢木耕太郎の「深い海の底に−高倉さんの死」に、妻であった江利チエミが童謡を歌うシーンを思い出していたのだろう、と思う。

 
 窓から雪景色を見つめていると、得体の知れない悲しみが襲ってきた。

 今、ロスラテーノスの「太陽への道」を引っ張り出して聴いている。
 おおらかで暖かい、アンデスの心が伝わってくる。

 生きる希望は深い悲しみの中に築かれるものなんだろう。

第1回公判

2014年12月08日 風の戯言

 天下のNECを起訴した第1回公判が東京地裁で始まった。

 普通、裁判所なんて入ることがないので、態度に似合わず緊張していたらしい。
 初回なので顔見せ的な儀式で予定時間は10分、それが5分程度で終わった。

 でも、疲れたぁ・・・。

 後は弁護士に身も心も預けて、結審を待つのみ。

 根性 !