大黄河 宗次郎
模索2年、大案件も漸く攻め口が見えてきて、弁護士と同じ方向で議論ができるようになってきた。
同時にあれこれメドが立ち頭の中が空になった。
「カラ」なのは今始まったことじゃないだろうと言われそうだが、何も考えずに風呂に浸かれることは素晴らしいことなんだ。
昨日は宗次朗の「大黄河」を本当に久し振りに聴いた。
海を見ながら、宗次朗に浸り、今は「遠く」なった中国に想いを遊ばせてみるのも好いもんだ。夕陽の右側の空に虹が見える。
「大黄河 2」をこれほど素直に受け取れたのも初めてだ。
イメージはまた大空を彷徨うのだけれど、昔「谷間に3つの鐘が鳴る」という曲があった。人は生まれ、結婚し、そして旅立っていく。2つの喜びと1つの悲しみ。しかし、それもまた「幸せ」なことではないのか、と思うようになってきた。
1滴1滴の音、1滴1滴の時間が「幸い」を運んでくる。
陽は、また沈む
多分、体力が回復してきた証なのだろうけれど、行くあてもなく彷徨う。
お盆の中日なので海は敬遠し、米山湖、赤岩ダムを目指した。あまり遠くないし、途中元社員が亡くなった現場にビールを手向け、米山の下のダムを訪れた。
実を言えば、時折一人でフラリと来るところなんだけど、来る度に人が少なくなり、今日は誰もいない。
デッキチェアを忘れたので、昼寝はできない。
今日は何処からともなく、静かな山鳴りの音が聞こえていたが、風の音なのか…。
帰って、夕陽を見ながら居眠り。
最近は疲れたせいなのか、老化に伴う歓喜現象なのか、良く眠る。
放っておくと、朝まで挙動不審な活動で眠れない。
だから、普段は睡眠薬と蒸留酒の助けを借りて眠る。
これは結構辛い。
「陽は、また沈む」… 「陽はまた昇る」んだけどね。