重陽の節句

2024年09月09日 風の戯言

真夜中の2時、庭で横になって星空を眺めている。
朝日が差す前、庭で風に当たっている幸せは何ものにも代えがたい。
さすがにまだ昼間は暑すぎるけれど・・・。

今日は重陽の節句、今までなら片貝の花火の日。
今年は13,14日になった・・・。
気球の仲間、柳生軍団の故千葉昭彦さんに尺玉を捧げさせてもらう。

妻が旅立ってから2週間。
今もいろいろな人達がお参りに来てくれる。
2匹の蝶が、庭を舞い続けていてくれる。

「死」について

2024年09月06日 風の戯言

今、否応なしに「死」について考えさせられている。
親兄弟、親戚、会社関係、友人知人の「死」には人より多く立ち会ってきた。
だから「死」がなんであるか、誰よりも多く知っている筈であった。

子供の頃から、親たちの早すぎる「死」に修証義や般若心経に向き合ってきた。
学生時代は実存主義や虚無の世界にのめり込み「生」も知った心算になっていた。
しかし、妻の死に、それらは全て吹き飛んでしまった。

病苦と戦い乍ら、妻は自らの「死」を受け止めていた。

優しかった妻の旅立ちを、多くの人達が見送ってくれた。

そして今、「葬儀」ということについて考え込んでいる。
多分、人類の始まりから、この「不条理」を受け止めるには何かに縋るしかなかったのだろう。
「論語」は葬儀の礼法が始まりだとも聞く。

否応なしに、身体から離れてしまった「魂」について・・・自分が彷徨っている。

神々の古里 朝6時

2024年09月05日 風の戯言

暑い・・・暑い・・・もう9月なのに・・・
でも、朝夕は凌ぎ易くなった。
朝日の昇る前、爽やかな風に吹かれて、庭での朝寝が気持ちいい。

も少し早いと、遊び疲れた妖精たちが賑やかに塒に戻って行くのに出会う。
八石山の澤の奥に、切り立った崖の奥に彼らの塒があるらしい。
脚が昇ってくると、妖精たちの暫しの社交場は、人間達の稼ぎ場に貸せることになる。

妻の節子も妖精たちの仲間になって、今日も遊びに行ったまま戻ってこない。
やっと自由になれたのだ。
今日も、友達が探しに来ていたよ。

天国に一番近い村

2024年09月04日 風の戯言

鯖石から高柳に抜ける川西線-252号線の西側を走る山間の道が好きだ。
宮平を過ぎて笹崎から旧石曾根村の幾つかの集落の山側を走る。
自分の生れ在所でもあるので、浅田次郎の「母の待つ里」のような香りが漂う。

夕方6時になると、市のチャイムで「夕焼け小焼けで日が暮れて♪」が流れてくる。
今の日本が忘れてしまった本ものの童謡が、まだこの辺の村には生き続けている。
朝6時には、朝の読経が終わった周広院住職が撞く鐘の音が村に眠りを起こす。

「そうか、節子はもういないのか・・・」
やっと、悔いの山の中に現実が見えてきた。

「ほんとに、節子はもういないの?・・・」

セッちゃんはね・・・

2024年09月03日 風の戯言

セッちゃんはね、節子と言うんだホントはね
だけどみんなで「セッちゃん」と呼ぶんだよ
嬉しいね セッちゃん・・・

まだボロボロだ・・・