バルーンスポーツクラブ東京20周年
昨日はBST「バルーンスポーツクラブ東京」20周年記念パーティにお招き頂、新宿の夜を楽しんできた。
会場は住友ビル48階の「美濃吉」で、東京の街を見下ろしながらの酒は格別に美味しいものだった。30年振りに出会う懐かしい顔も荒れ、懐かしい昔話花が咲いた楽しい時間だった。
40年以上熱気球に関わりながら、飛行ライセンスもないのでは「あの世」にも行けそうになく、日本最高齢の免許取得を目指すことになった。理事長が「即没収」と叫び、笑いに包まれた、本当に心の安まる良い会だった。
夜は倅が取ってくれた5つ星のパークハイアットの45階から、眼下に広がる光の海を眺めながら、ここでは原発なんて遠いクニの話なんだな、と複雑な思いに浸された。
代々木のスッポン料理を楽しんだり、ホテルの最上階でジャズを楽しんだり、みんな倅に奢らせながら、最高の夜を楽しんできた。
明日は3.11 1周年
祇園精舎の鐘の音
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
聖者必衰の断りを表す
おごれる人も久しからず
ただ春の世の夢のごとし
たけき者も遂には滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ
昨年の3月11日は長岡で会議中だった。
大きな波のような揺れが続いていた。
会議そっちのけで情報収集したが、このときはまだ全容が見えず「話のタネ」、会議は続いた。
ただ、テレビや新聞、雑誌で全貌が見え始めると、イライラが昂じ精神的に不安定になってきた。自分の中に築き上げたものが、大きな音とともに崩れていった。
夏草の中を南相馬まで出かけたのは、鎮魂もあるが自分を見つめ直す時間が必要だった。判っていたようで、人生の意味が見えなかったのだ。
瓦礫が山になり、至る所に船が打ち上げられたままになっていた。
荒れ果てた海岸から、鎮魂の詞を海に捧げて貰い、少し何かが鎮まってきた。人は生きている限り、一生懸命生きなくてはならない。生きていることに何の意味も見いだせなくとも・・・それが生きると言うことなんだろう、と。
最近は不思議なことが多い。
ふとした風景に出会うと、自分の気持ちが妙に優しく、懐かしさの籠もった気分にさせられる。以前出会った風景、時間の彼方においてきた感情までが浮かび上がってくる。
本を読んでいて嗚咽や涙が込み上げてくる・・・そんなことは殆ど無かったのに・・・高齢になって、感情の蓋が破れたか?
人は生き、そして死ぬ。
何をせよ、と命じられていたら、まだ生き方もある。
自分で考え、自分で行い、自分を捨てなければならない。
自らの使命を、自分だけで良いから、納得しなければならない。矛盾し、バランスのとれない不安定こそが、人の定めなのだろう。
そして、やがて人は神に近づくのかも知れない・・・。