実りの秋(とき)を待つ

2011年08月13日 風の戯言


 お盆休みに入った。

 今年は3日の休みしか取れないが、それでもゆったりとした気持ちで過ごせるのはやはり長い地域の習慣によるものなのだろう。
 昨日は会社の納涼会で、歳を忘れて「イッキ!」を繰り返していたらさすがにダウン。珍しく、昨夜は帰宅後台所の床に転がって寝たらしい。何の証拠もないのだが…。

 墓参りも済ませ、静かな「時」を楽しんでいる。

トイレの神様

2011年08月08日 風の戯言


 かつて石塚家には厠を祀る習いがあった。
 藤原-佐野-石塚の流れをくみ、滝川一益に攻められ館林錠が落城した時に、敵に追われて越後まで落ちのび百姓家の便壺に身を沈めて難を逃れた、という臭い伝説がある。
 もう逃げられない、という意味でその土地の名を「行きかねた-行兼」に改めたとか、臭く怪しげな言い伝えではある。
 
 古い記憶を掘り起こすと、格式ある寺の様ながっしりしたつくりの正面玄関の左側に「上の便所」があった。来客用のトイレだったのだろう。

 トイレに今朝、神様が降りてきた。

 早くウンコして会社に行きな ! そんなところか?

夏坊主

2011年08月07日 風の戯言


 子供の頃は簡単に海に行けなかった。
 自転車は無いし、バスは人の乗り物であり、海がどこにあるか知らなかった。山の上に上がれば箱庭のような街が見え、その先に青い海があった。
 だから夏休みの臨海学校は、場所は番神海岸で、花火は岬館の坂で見た。興奮し自己制御できなくなった自分は全く別人になってしまっていた。そんなことが多々あった。
 中学校に入ったら、多少知恵も発達してき、バンガロー村に城を据え水族館や量たちをあおって何かやろうとしていた。人間思ったことを突き進めば必ず道は開かれる。今も小名譲菜幼児性の中にいる。遠い、遠い、涙が滲んで見えなくなるように遠い 去りし青春時代

 八国峠からは柏崎の町並みと海が見える。
 大きな夕陽が米山の脇に沈んでゆく。
 空一面の夕焼けと明日の幸運を約束している。

風の吹くままに

風の戯言


 久しぶりに宗次郎の「大黄河」を聴いている。

 歴史を学ぶことは未来を知ること、だと何かに書いてあった。人間が何を求めてきたのか、それが解れば未来を推察できる、と言いたいのだろうが、そう簡単ではないだろう。
 人類の歴史の中で、インターネットなるものがこれほどの力を持つと誰が予想しただろうか? 今日の「情報通信」という言葉の重さと同時性を誰が予想しえただろうか?

 「大黄河」を聴きながら老子・荘子を開くのも悪くはなさそうだ。こんなのがあった。
 「古の真人は、生を説ぶ(よろこぶ)ことを知らず、死を悪む(にくむ)ことを知らず、その出を訴ばず(よろこばず)、その入も拒まず、悠然として往き、悠然として来るのみ」と大宗師篇」にあるとのこと。生を悟りすぎたら面白みがない。大言壮語し、支離滅裂に苦悩と悲惨の中で七転八倒して生き抜くのも、楽しいのかもしれない。

 写真は野尻湖から黒姫山?を望む。

   静けさに心のさざ波報られしか     草風

夏雲群れる

2011年08月06日 風の戯言


 妙高に勃起したるか夏の雲      草風

 大雨と洪水が去って、夏の空が戻ってきた。さは言えど8日はもう立秋。山に日暮セミが林の中で輪唱し、庭で羽化したアブラセミ達が賑やかだ。ただ、今年の蝉はすぐ逃げる。羽化数の減少から種族の繁栄を盛り返すために、一匹の蝉に至るまで、生存本能を鼓舞しているのかも知れない。

 世界経済が崩壊寸前の様なニュースが流れている。小松左京の「日本沈没」に取り込まれ、以来そんな本を漁り続けていたが、最近は開き直った。
 災害列島、それが俺たち先祖伝来の島なんだ。そして日本人の素晴らしさは、しっちゃかめっちゃかにやられて、もう声も出なくなった人たちが、4年もすると元気いっぱいに祭りを引っ張っていたりする。
 心の傷に手を合わせ、悲しい思い出を一日だけ仏壇に仕舞い込み、今日生きてる喜びを全開させている。それが、日本民族の持つ悲しいネアカ人生なのだ。

 夏雲の中に、雷光がはじけ、雷音が調子をあげ、ドンガラガンと腹に響いて、強い夕立を待っている。夏の爆発だ。