柏崎 海の花火

2011年07月26日 風の戯言


 娘等に視点が揺らぐ花火かな      草風 

 仕事でお世話になっている何人かのお客様と、何人かの気球の仲間達、そして何人かの社員たちとその家族。大勢の人たちに囲まれて今年も柏崎の花火を見ることができた。
 目の前の海中に弾ける花火たちを眺めながら、現実と遠い記憶の中の出来事のような、不思議な感じも味わった。
 10万とか20万人とか、大勢の人たちが歓声を上げ、拍手をし、ざわめいている。花火の、それも重量感もあり、華麗な海の花火に人は夢中になっている。
 最後の「市民一同」の花火の頃、堪えていた雨がそそっと降ってきた。「東北の人たちの涙だね」と女性社員の一人が呟いた、という。
 会場の出口のところで日本海太鼓のメンバーが「柏崎の四季-夏」だと思うが、心の籠った太鼓を演奏していた。「ありがとう!、頑張れ!」の一言と募金箱の足しを入れてきた。
 人はみな助け合って生きている。人間社会の「経済」とはそんなことなんだろう。ありがとう。いい1日だった。

 写真は創風システムと社員一同の奉納花火、「柏崎の花火は世界一」5寸玉10発+尺玉10発同時打ち上げ。

なんだかなぁ・・・

2011年07月24日 風の戯言


 20,21,22日と夜の三連チャンで昨日は完全KO ! 仕事の延長戦とは言え、楽しみ過ぎの嫌いはある。以後気をつける。

 今日は朝のドライブを久しぶりに出雲崎方面へ。ただ、何となく風景に寂しさが混じり始めた。真夏の海辺に何が起きているのだろう?
 午後は中鯖石 善根から石川峠を抜け、小国の八王子・横沢を通り相野原観音堂を写真に収め、山野田から大沢、高柳へ2時間ほどウロウロしてきた。大沢の「ブナ林」を見たかったが山の途中で息が切れ、入口で断念。歳のせいか ?

 車で人の生活圏を走り抜けながら、改めて思うのは「熱狂の時代」を通り過ぎてきたこと。江戸時代の人口3000万人が
現在の12700万人を一つの頂点として、今は静けさが蘇りかけている時代に差し掛かっている。
 自分の言語機能が、元々障害はあったにしても、衰え始め明確な言語として捉え、認識、表現できない悔しさの中でのたうち回っている。

 とまれ、久方ぶりに「石川峠」で風を感じてきた。まだ鶯が鳴き、多くのオニヤンマが谷風に舞っていた。
 それにしても、「郵政大臣 田中角栄」の開道の碑の何と誇らしげなことか !

F 君、頑張れ !

2011年07月21日 風の戯言


 F君、今日は予定通り手術完了。激痛と酸素マスクの中から僚友にメールを送っていた。手術直後で要約すれば大変な時宜だけど、栄養を給と酸素マスクの中「痛い、痛い!」の.メールを送ってきている。死んだわけないから安心 ! 1週間以内に退院だろうと喜び、期待している。

 今日はM君の退職日。中々マッチしない人もいるんだ。H君の入社確定日前日、いろいろと人事異動がある。組織を守っていくために人は鬼になる日もある。つらいれどね。

 頑張って、いい会社 にするよ。

夢をつかめ、夕焼けの海

2011年07月20日 風の戯言


 昨日の海の夕陽は凄かったという。
 空一面が赤く染まり、そこに虹も掛ったそうな。
 誰か、その写真を撮っていたら、どうしても見たい。

 昨日の悔しさを胸に仕舞い込み、今日はお客さんとの懇親会。夕陽の沈む海に佐渡が浮かび、とてもきれいな夕陽の空になった。若女将を窓際に立て美女と夕焼けを狙ったのだが若女将は黒いシェルエットになってしまった。影絵のような姿に猛烈な慕情を感じる。
 夕陽を見ながらの酒席は華やかで美女たちの友人の「会長就任祝い」は愉快で、温かな良い宴会になった。

台風の空

2011年07月19日 風の戯言


 奥底のしれぬ寒さや海の音

 文春7月号を読み返していたら角折りしたページにこんな句が載っていた。金子兜太が東北大震災避難所を想像していた時に思い出した江戸時代の越前三国の女郎の句、だとか。

 生きていて生きてるだけで燕来る

 この震災を読んだ飯田操さんと言う人の句。読み返すだけで詰る。

 俳句の、抜打ちで一刀の下に切り取られた人生の瞬間が大きな時を超えて迫ってくる。人間は自然界のあらゆる生物と同じで、時の中で生きている。生れれば人はやがて死ぬる。坂井三郎や車谷長吉のように「死ぬ時が楽しみ」とはいかないが、消滅できるのは人間の最高の幸福の様に思えるときがある。
 さまざまなことが浮かんでは消えてゆく。