夏の思い出
車に乗ると「外気温度」が40度を表示していた ! 思わず生きる気力が萎えてしまった。「夏なんだなぁ」と思わずボケたことを口走ってしまう。
ただ、台風の進路と魚沼方面の大雨洪水警報に要注意。
午前中、長岡までF君の入院見舞に行ってきた。肺の一部切除…いろいろな病気があるもんだ。腹と胸の3ケ所に穴をあけ、切り傷はつけないように手術すのだそうな。本人が気にしている「痛がる手術」を無理に聞き出すと、それでも本人は入院前より元気そうで安心。20日の手術を無事乗り切って欲しい。
入院見舞いといえば、鋸で足を切った仲間のお見舞いに、ニンジンやダイコンを紅白の祝い紙で包み枕元に置いてきたこともあった。早く治して馬や牛の様によく働けと…院長先生が涙を流して喜んでいた、と後で聞いた。
別の仲間の入院のお見舞いにウィスキーを持って行き、患者を交えて飲み始めたら足らなくなって、看護婦に頼んだら病院から追い出されたとか…。今は皆懐かしい思い出。
よく考えて見れば、土方からコンピューター屋になって、俺はとても上品になった。
いもり池
久しぶりに赤倉のいもり池を訪ねてみた。
単に昼時なので腹が減っていただけなのだが、「手打ちそば」の看板に引かれて入ったら、ビールを片手に若い男が盛んに話しかけてくる。自閉症気味の時は腹が立つ。首を絞めるわけにもいかないので適当に相槌を打っていると段々ムカついてきて殺意が本物になりそうになる。
仕方なしに池に向かうと2羽のカモが桟橋で休んでいた。
鴨は人間の食いものであることを忘れ、暫く見ていた。
「妙高山」はインド古代仏教で世界の中心の山である、と一般的に理解している。須弥山は漢字の音訳だという。
高校の山岳部で妙高三山を歩きまわっていたころを思い出す。テントの中で酒飲んでいたら酔っぱらった顧問の先生が傾れ込んできて宴会になり、青春談義が遅くまで続いた。翌日の笹倉口からの焼山攻めはキツかった。春山の雪の急斜面と二日酔い。だけと、無茶苦茶楽しかったことが忘れられない。
露天風呂で斑尾山に上る月を眺めていたら「十六夜ですか立待月ですかねぇ」とオッサンが声をかけてきた。放心状態の時に声をかけられ、湯船に沈みそうになった。
立待月、居待月、寝待月…。日本には自然と暮らす豊かな言葉があったのだなぁと今更ながら驚く。
帰らざる河
土日は、リングでぶちのめされたボクサーのように沈み込んでいる。金曜日のセミナーの後の懇親会、延長戦とくれば無理もないのかも知れない。飲みすぎたかな ?
夕方になって、フラフラと本屋に行き、今話題の「日本中枢の崩壊」(古賀茂明)を買い求めた。今は、政治家に国民が完全に舐められている危険な状態で、沸々と広がる不満がいつか来た道を選ばせてしまうように思えてならない。
現状の中で、未来に広がる危機感を「解れ!」というのは政治でも経営でも難しいことだが、解る人が叫び続けなければならないのだろう。
カッサンドラの予言のように、トロイの木馬に敵兵が隠されているなんて、できれば信じたくないのが本音だろう。それをどう「見える化」するか? 情報サービス業の重要なテーマでもある。
何時もの様に、夕方鯖石川の堤防を歩いた。
日中の猛烈な暑に稲は田圃に広がり、苗場山は雲に隠れ、黒姫山は静かに瞑想している。
長い歴史の中で、川は流れ続けている。