無事に生きたり

2011年02月28日 風の戯言


 低い雲が横たわる八石の山に夕陽がさしている。

 何と言う、美しさなのだろう !

 
 今日も無事に生きる事が出来た。
 少し大袈裟かも知れないが、そんな実感が湧いてくる。

 昨日東京駅の書店で見つけてきた養老孟司の
  「希望とは 自分が変わること」
    の表紙を見続けている。

 

2011年02月27日 風の戯言


 風船一揆は好天に恵まれ、無事に終了した由。
 めでたし。

 今日は本郷の宝生能楽堂での宮澤正幸教授の「藤」を鑑賞させて頂いてきた。能を観るのは初めてだが、舞台と観客が一体となって醸し出す密度の高い時間はまた格別。何を言おうとしているのか皆目見当がつかないが、磨き上げられた日本芸能の水準の高さと奥の深さを垣間見る事が出来た。

 余韻を楽しみたく、大手門から平河門まで、皇居を歩いてきた。
 世界にこんな大規模、且つ精緻で自然を大切にした「城」はあるのだろうか?
 紅梅、白梅が重なって咲いていた。

第35回 風船一揆

2011年02月26日 風の戯言


 23日は麻布十番で些か飲み過ぎ、24日は新発田でしこたま飲んでしまった。長い命じゃない、日本酒の美味さに沈没するのも他愛もなくいいものなのだろう。
 今日は小千谷風船一揆。35回目になる。今は唯呑み要員で、地元の人たちと遠来のお客に、昔の話を繰り返し、楽しい時間を共に過すのが自分の役割。
 星野元代議士の顔も見え、市長だった頃の話に花が咲き、愉快な一時を過させていただいた。京都、大阪、東京などからの昔馴染の、それでいて生活の実像を聞いた事もない仲間達と遠い思い出話に時間が過ぎるのを忘れていた。

 明日は宮澤先生の能を観に上京する。

 アラ古希の、自然消滅の近づいた「時間」を、流れるままを受け止める事の充実感を味わっている。
 億万の星の中の、億万の時間の中の、億万の生命の中の、愚にもつかない一つの人生であっても、その時間を生きる当の本人にとってみれば、それなりの重さはある。いくら軽かろうと、ゼロに近かろうと、全くのゼロではないのだろう。

 酔眼で満天の星を見ながら、沈黙だけが値千金の時が流れていく。

来週は「風船一揆」

2011年02月19日 風の戯言


 春が近づいた休日の晴天は何とも気持ちのいいものだ。
 気まぐれに、久し振りに「ランちゃん」を連れて散歩に出た。相棒も高齢なのでほんの近くまでなのだが・・・。
 
 夜、チャンネルを捻ったらNHKで「熱気球オヤジ」をやっていた。アルプスの古城に設定されたターゲットを狙う空の競技なのだが、何となく友人の高本さんの世界に引き釣り込まれて最期まで見てしまった。案の定、「取材協力 高本裕久」の名前が出てきて、嬉しくなって携帯に電話してしまった。
 「気球は自由だ。しかし期待通りに運ぶのは本当の自由じゃない」そんな事を言っていた。しゃくだけど、ホンモノの熱気球オヤジの言葉にすっかり参ってしまった。
 あの空を、あの人たちと飛んで見たい。

人生は死ぬまでの暇つぶし

2011年02月12日 風の戯言


 若い頃、何とか佳代子とかいう歌手が「人生って、なんか、死ぬまでの暇つぶし、って感じだよね」といっていた事はが忘れられない。
 NHKの「若者の無縁社会」を見ていてイライラしている。判っちゃいない、って言うか、自分で哲学してない標準語しか使わないで、この問題は全容が見えてこない。
 教科書に出てくる言葉をそのまま4文字熟語にして議論しょうったって、そんなに世の中「紙っペラ」じゃない。本格的な血を流しながら、生き死にを掛けた闘争がなければ、単純に理解し合えるものじゃないと思っている。

 写真は南条と下加納の境、鯖石川の近くからの八石山の雪景色。古代は信仰の山で釈迦の涅槃図に見えるという聖地で多くの仏教寺院があったらしい。「善根」なんて地名は、本来ならありえないのだろう。