静かな夜に
静かな夜に、久し振りに音楽を楽しんでいる。普段は睡眠薬+寝酒+ついでの音楽、という感じなのだが何故かしんみりと心に沁みこむ。宇宙の果てから魂の底まで、静かに流れる「ミュージック」の世界に引き吊り込まれている。時には、堪らなく良いもんだ。
書棚から黄文雄の「日本の植民地の真実」を引っ張り出し、気の向くままに拾い読みしている。読む、というより病気のような虚ろな目を泳がせているだけのような気もするが・・・。多分、政治の、というより日本の針路の潮目なのだろう、底流で何かが大きく動き始めているのを感じる。
次の時代の幸せの姿は何処にあるのだろう。チカラや効率化だけでなく、本来愚かな人間の大地に根ざした生きる喜びがあるはずだと思う。人類が長らく熱望しながら手にし得なかった自由と共存による平和、なるものを。
魂が幽体離脱したように、俺は秋の夜空を漂っている。
9月になれば・・・
今日から9月。
国政選挙の民主党の大勝、というより自民党の大敗なのだろうが、1993年の野党連合の細川政権とはかな違う感触がある。多分、国難に立ち向かう若手の志士達の様な熱気を感じさせる議員が多いことにも因る。時代が大きく変転していくのだろう。
最近、身体でもなく心? 脳?でもなく、不快なものが何処からともなく何処かを走り抜けて行く。ハリ治療の先生によれば、年齢を無視した動きをしているからだ、そうだ。何を勝手なことをヌカシているか ! とも思うが、やはり年齢的な何かがあるのだろう。そうなら、クタバルまでもう少し好き勝手をやってみるか。
時折、誰かにおいでおいでと呼ばれたような気がしてに、ぶどう村に上がってみる。
誰かが俺に、何も言わないけれど、何かを言いたがっている存在を感じる。何をせい、とか?
蓮池 薫さん
夕陽に吸い寄せられて、海に行って来た。
昔のユースホステルの海。いろいろな思い出が蘇ってしまつた。
蓮池薫さんとは何度か出会っている。市役所でまだピリピリしているころ。新潟産業大学で見かけたこと。そして八幡開発が韓国将棋連盟の人たちを招いた晩餐会で〆の挨拶を託され、「どうすればいいんだ?」と蓮池さんに聞いたら「任せてください。何を言ってもかまわない、後は私が良い様に通訳しますから]って、いやぁ、参ったね。二人で大笑いしてしまった。それで亦彼が大好きになった。
「半島へ、ふたたび」はそんな彼の魅力を余すところなく表現している。あの苦難の中で、どうしてこんな純な心が残せたのだろう、と感動的でさえある。最初の訳である「孤将」の背景が見えたりして、本好きとしては久方ぶりの良い出会い、という感じ。