中締め

2006年06月10日 風の戯言


 懇親会など酒席の最後を「中締め」と称し正式な会の終了を告げる儀式?がある。単に「締め」のことだが、そこは日本人らしく「もし都合が良かったらもう少し召し上がっていって下さい」との心遣いが感じられ、いい習慣だと思っている。
 昨日、銀行さんの会社説明会の後立ち席での懇親会があり、その「中締め」を命じられた。光栄な役なのだろうが、正直言えば苦手だ。素直に形式どおりに出来ない性格の捩じれに嫌気を感じることも多いのだけれど、綺麗に纏めないと「世間知らず」になってしまう。正式儀礼の中に新鮮味を・・・自己アピールの機会でもある。そこで・・・
 
 「ご指名を頂きましたので、僭越ではございますがこの会を締めさせていただきます。
 ただ、銀行さんの会なので「バンザイ」だけはしたくない。三本締めは疲れる。関東一本締めは手抜きだ。
 よって越後二本締めを行います。米俵を縄で絞める作業から、米所越後に伝わる中締め、越後二段締め、参ります。
 よー、バン、バン」

 みんな喜んでくれたけど、これで良かったのかな・・・

八石山

2006年05月29日 風の戯言


 ランちゃん(ビーグル)にせがまれて小雨の中を散歩に出かけた。
 長岡日赤の健康診断の結果がオールAで、まぁそれに気を良くしての大サービス。来年は高齢者の仲間入りになるけれど元気が一番と思っている。もう十分に長生きしたので何時電源が下りても悔いはないが、出来れば中途半端な状態で生き延びることだけは嫌だね。叶うなら、美女を脇に杯を手にしたまま昇天したい。
 そんな妄想の中を漂流していたら雨の八石山が語りかけてくれていた。自然のまま、あるがまま、が一番美しいのかもしれない。

ゴルフ

2006年05月25日 風の戯言


 5月19日土曜日、今年初めてゴルフ場を歩いた。
 40年来の友人、Kさんに柏崎まで来てもらい黒姫カントリーを一緒に回った。相変わらず酷いスコアだけれど、それでも新緑のコースは気持ちのいいものだった。
 22日は64回目の誕生日、社員から花束とプレゼントを貰いご満悦。でも来年からは「高齢者」の仲間入り。「俺は大器晩成型」なんて嘯いていたけれど、欠点だけが目立ちすぎる。そろそろ修正することを諦めてもいいのかも知れん。開き直って、これが俺なんだ、と。
 人生はゴルフと同じくなかなか思うようには行かない。誰が悪いわけでもない、自分の行為の結果でしかないのだ。

南天の月

2006年05月15日 風の戯言


 夜の庭に出ると散り始めた八重桜の花の南天に月が輝く。満月を過ぎたばかりの月明かりは物思いに耽るに丁度いい。

 社長業は当然のことながら自分の会社の業績が最優先の問題だ。業績を上げ継続的に成長できる仕組み、それさえ出来れば大半の仕事は終わる。成長できる仕組みとは社員が精一杯に活動できる人事考課システムなのだろうと思っている。それだけではないが、組織を活性化する仕組みが最重要な課題だ。自分が抱え込んだ社員の生活が、厳しくとも豊かであるように自立の道を探らねばならない。この時間もあれこれ考えて眠れないでいる。

 地域に根を下ろして活動していると会社経営とは別の仕事が舞い込む。自分の能力を考え断れば良さそうなものを、グズグズと溜め込んでしまう。いい性分とは言えない。
 市の長期計画、産業大学の未来等自分の力ではどうにもならん。余計なお世話が仕事を増やしている。
 味噌屋の再建、情報通信会社の経営。これは本来の業務に関係するものもあるので身を入れて懸からねばならない。
 あと業界関連の役職を幾つか、これはそろそろ身をひく必要があるのだろう。中途半端な名誉職は楽でいいけど存在意味が良くわからないことが多い。伝統、ってやつだ。

 ブツブツ言っているうちに時間が過ぎている。もう少し纏めて寝るとしよう。
 南天の月が窓の真正面に懸かっている。静かな夜だ。
 

消しゴム

2006年05月10日 風の戯言


 読売新聞10日の編集手帳に串田孫一さんの「消しゴム」の話が載っていた。
 人生とは「恥の種」「悔いの種」を撒き散らしながら生きると言うことかも知れない。様々な軽率や無知が生んだ書き損じを消してくれるのだから「消しゴム」は「救い主」なんだと言う。忘れ去る、という美徳も有難いものなのだが・・・挑戦もせずに、傍観者を決込んで評論をしているだけでは人生なんて詰まらぬものなのだろう。
 未来に賭け、行動し、挫折し自殺まで考えたときにポッと幸運が舞い込むことがある。果報は寝て待て、と言う言葉がある。やることやつたら、見苦しい動きはするな、後は天に任せろと言うことなのだ。
 ビジネスはやってみるなければ判らない事も多い。途中で諦めれば、失敗は確定する。成功するまでやる、それが成功の秘訣だとも言う。命を賭けてやる、それが男の生き様だなんてもう古いのかも知らん。
 俺は消しゴムは要らん。無様であろうとそれが俺だ、言えるようになってきた。もう直ぐ64歳、いまだ未完成。