沖縄の旅

2006年03月13日 風の戯言


 沖縄に旅をしてきた。

 新潟空港から那覇まで約2時間。旅程約1500キロ、温度差約20度。
 柏崎の自宅はまだ1メートルほどの雪に覆われ、訪れた沖縄はもう桜も終わって色とりどりの花が咲き誇っていた。那覇の繁華街「国際通り」は半袖でも汗ばむくらい。
 悪い冗談!、ホント、いい加減にしてよ!って、そんな感じ。
 
 仕事の関係で宜野湾市の進めている情報化の現状視察。コンピューター化そのものも興味あったけれど、普天間基地移転に伴い経済的な自立を目指している沖縄の現状は他人事では済まされない迫力があった。
 市役所の屋上に上れば、普天間基地はほぼ一望の下に見渡される。市の中心部に極東有数の米軍基地が現存し、その周囲を取り巻くように人口10万の町が広がっている。一見「板門店」よりはのんびりして見える風景も、事あれば現実に機能する空軍機が、スクランブル指令を待っていると言う現実は凄みがあり過ぎる。

 それでも沖縄の人たちは明るかった。みんな底抜けに明るかった。遠来の客人をもてなす沖縄の人たちのやさしい心配りなのかも知れない。

 時間の迫る中、無理お願いして摩文仁の丘を訪ねた。戦争犠牲者個人名を刻み込んだ「平和の礎」に花を手向け、祈りを捧げたかった。気障に聞こえるかも知れないが、終戦を記憶している者にとってこの地名は重いし、どんな議論も空論のように思える。
 昭和初年から20年まで、司馬遼太郎の言を借りれば日本の歴史の中「奇胎」としか言いようのない期間、日本は本当に狂っていたのかもしれない。重いね。