母親
母親の名前を、大学卒業まで知らなかった。
7人の子供を生み、生命が尽きたのかも知れない。5歳の時だったそうである。継母が出来、俺は母の名を「忘れた」。7歳で祖父が死に、10才で父親が死に、15歳で祖母が死に、母親の名前なんてどうでも良くなったのかもしれない。
母の名前は千歳と言う。大学の卒業名簿か何かに名前を記入する欄があった。故郷に暮す長姉に、俺は明るい声で尋ねたらしい。電話の向こうの声が突然に泣き叫び、俺を罵り、やがて嵐が過ぎて、長い時間消ええるように泣き続ける電話を、俺は切った。
俺はとんでもない事をしてしまったのかも知れない。考えてみれば、24歳にもなって母の名前を知ろうともしなかった自分は本物の馬鹿者なのかと心底情けなくなった。
母は14代続く旧家の一人娘だった。祖父達は何を考えていたのか、、地域の曹洞宗の大寺の檀家総代の一人娘を横浜のフェリスに遊学させた。大正時代の何とも大らかな空気が伝わってくる。
病を得て、実家に戻った母はやがて父と一緒になり、賛美歌を口ずさみながら子育てや家の掃除をしていた、という。みんな姉達の話だ。
15歳まで生きた祖母から母の話を聞いたことがない。今にしてみれば、子供に先立たれた母の悲しみを思うことが出来る。幼子を残して死に行く母の悲しさと無念を、思うことが出来る。その母の悲しみと無念が、今も俺を見守っているのかも知れない。あの世、ってのがあるのかもしれないと思う。
まだお盆、でいいのかな。