バリ

2008年02月14日 風の戯言


 身体の中を吹き抜けてゆく風に時間を預けて波を眺めていた。バリは雨季で、曇り空の日が多く時折雷を伴った大雨がベランダまで吹き込んでくる。
 インド洋から寄せる波は激しく、海岸は茶色に濁っていた。夕陽が見たくてジンバランに宿を取ったのに、残念ながら血の騒ぐような夕陽にも恵まれなかった。
 それでも、慰めるように広がる青空はやはり素晴らしく、怒りが次第に溶けて行くのがわかる。やはりこの旅はよかったのだなと思う。
 
 穢れは「ケガレ」気力が欠けてくることを言うらしい。疲れが込んで気力が失せて本来の活力がなくなったとき、「ハレ」と呼ばれるお祭りのバカ騒ぎで、モヤモヤとした「ケガレ」の本体を吹き飛ばしてしまう。民俗学では、集団が生きる為に必要なのその行為を暖かく見つめている。
 一躍有名になった岩手県奥州市水沢区の黒石寺の蘇民祭も、ニューギニア高地人の祭りも、無意味に近い人生を生きる為の人間の知恵なのだろう。人は理性だけでは生きられない。なまじ中途半端な脳を持ったがための悲劇を、時には先祖の動物に戻って出直すことで、生きる力を再生しているのだと思う。
 現代人は、バカ騒ぎをしなくなって詰まらなくなった。常にキンチョウし、人にもそれを強い、純粋理論が欺瞞を増殖しているように思える。人間はまだまだ動物の方に近いはずなのだ、と思う。

 今日は夕方から新潟大学で前原子力委員会委員長藤家洋一先生の「地球環境に調和したエネルギー文明論-自然に学び、自然を真似るエネルギー-」を聴講してきた。人間が、自然に存在する「火」を使うことが出来るようになってから動物から別の生き物になってしまった。現在目に見えない原子力を使うようになって、人間は今度は何処に行こうとしているのか、講義を聴きながら不思議な気分になった。