終戦記念日

2009年08月15日 風の戯言


 戦争が終わって64年が過ぎたことになる。
 64年が過ぎて、歴史と言うものが勝者のものでしかないという事実が少しづつ明らかになってきている。
 日本のアイデンティティが何処にあるのか、この流離の旅もそろそろ終わりにしなくてはならない。冷戦構造による歴史観と日本民族古来の歴史観、三方向に分離し明日に向かう日本のエネルギーの方向が集約されないできている。失敗の本質を見るまでもなく、国民を幸福にする為の戦争としての目的、戦略、戦術共にバラバラではなかったのか、と思う。
 評論家的な視点でなく、自分がそのとき決断をしなくてはならない立場としたら、自分はどんな考え方をすればよかったのか。歴史の「if」を楽しんでみる。
 日本だけでなく、あの戦争を境に新しい時代の価値観の安定を求めて未だに激動を続けている。応仁の乱以降徳川の平和が訪れるまでの戦国の世は約150年。諸行無常、安定なんてのはこの世の物ではないのかも知れない。

 戦争を否定すれば戦争を否定する権力が生まれる。人間の幸福の基盤とされる「国」の存在に対する同意は、他国との利害の調節上批評家としても熱く成り易い。愛国心に依り得られるもの何か。どこかで何が一番大切なのかの価値観の同意を取り付け、全体をリードして行く現代の国論のまとめがいる。

 悶々としながら野田の山道を走り「北向」集落に車を止めた。立派な石垣が残り、集落の在りし日の此処に住む人たちの屋号を彫った碑も見えた。大勢の子供達の遊ぶ声が聞こえてきそうな寂しさに文字通り胸を締め付けられる。祭囃子が聞こえてくる。牛の鳴き声が聞こえてくる。未来を信じ、労働の確かさを信じ、人の温かさと醜い欲が織り成していた山里の人間模様を、滂沱の涙とともに思い出している。

 たった60年余の時間で如何にも遠くに来たもんだと思う。終戦時の縄文時代のような生活から、散歩でも蛇や蛙に出会うことも少なくなった現代。人間を含めた生物の生きる自然環境が静かに様変わりしている。これが正しいのか?