額 自慢

2012年10月07日 風の戯言


 我らは7人兄弟姉妹、今日は新潟市にいる真ん中の兄貴が「じよんのび村」で同級会とのことで久し振りに来柏した。
 堀の義兄の墓をお参りし、加納の姉の顔を見て、実家の墓をお参りし、行兼(ゆきかね 集落名)の実家に寄りお昼をご馳走になってきた。
 子供の頃の話に花が咲き、縄文時代のような生活が思い起こされた。
 鯖石の石塚家の祖は、百足退治、平将門の乱で有名な藤原藤太秀郷であり、姓は藤原、苗字は居住地から「佐野氏」「石塚氏」と別れたという。
 戦国時代、織田の武将滝川一益に破れ、追われ、石塚の兄弟は高柳山中、鯖石行兼に身を隠し難を逃れたという言い伝えがある。
 代が変わり、お寺の伝承も怪しくなってきた。

 男兄弟3人寄ると、残念ながら今は「額」の広さの話になる。「ハゲ」と「額」との境は何処か? 今は亡き義兄の「医者どん」と兄弟縁者が集まっての夜通しの宴会では、何時もその医学的境界線の弾き方の酔論が賑やかだった。
 最終的結論として酔議が固まったのは「禿頭に止まろうとした蠅が足を滑らせて流れ、足場が安定してパッと飛び立つところが「ハゲと額の境界」と言うとになった。

 あの頃の酒には、今は失われてしまった「大きな」ものがあった。人生だったか・・・ 夢だったか・・・ 未来だったのかな?