藍沢南城を語る会  原稿メモより

2015年03月03日 風の戯言

平成6年11月6日、「藍沢南城を語る会」が市内中加納光賢寺で開催された。没後130年、遅すぎた嫌いはあった。しかし、内山知也先生が「南城 詩と人生」、目崎徳衛先生が「南城三余集私抄」を相次いで刊行されたのはやはり何かの奇縁なのかも知れない。その縁に繰られて「鯖石郷土史クラブ」(長谷川文夫先生主宰)は藍沢家墓地、三余堂跡、坂の登り口や南条集落の入り口に木碑を建てた。午前中は現地を訪れ、午後の「語る会」は盛会であった。地域の教育者を偲ぶ会は温かい雰囲気に包まれていた。近所の人、南城の血筋に連なる縁者、研究会の方など約100人。講師は内山先生と目崎先生。本堂のご本尊に見守られて、お二方の講演に熱が入った。
「先生浮名を求めず、教育を以って任となす。我ら幸せなり」。700名を超える門弟を育て、やがて「地の塩」となって郷土を支える人材が輩出していった。その門人達の先生評だ。近づいている幕末の激動に振り回されることなく、冬の寮で炬燵を囲みながら子供達と語らう先生の背中が見えるようだ。「人はどう生きるべきか」。三余詩集の巻頭を飾る「南条村」は私の大切な宝である。
南城の学統から「大漢和辞典」の諸橋轍次が生まれてくる。私たちはもっと藍沢南城を知っていい、と思う。