パラオ
長い間の夢だったパラオに行ってきた。
陛下が慰霊に訪れたベリリュー島に自分で行きたかった。恥ずかしながら、今までこの島の玉砕を知らなかったのだ。
あの島に行って、俺も祈りを捧げてきたい。
そんな想いが老体を突き動かしていた。
あの島で散っていった多くの人達が、こんな美しすぎる島で何故死ななければならなかったのか、どんな思いで死んでいったのか、どんな人達だったのだろうか ?
俺は陛下が祈りを捧げられた平和記念碑に冷たい水を供え、そんなことを考えていた。
パラオの旅は倅が添乗員兼通訳兼スポンサーだった。
いわば、介護付き旅行。
そんなパラオの旅で思ったこと。
ここの人達は比較的よく働き、対日感情も良いと聞く。
台湾も、タイも、ミャンマーもそうだという。
ベリリュー島最後の決戦の時、守備隊長中川大佐は現地の人達をみんな島外に避難させたという。そんな「伝説」が今も生きているらしい。
人は優しくしてくれる人に、大切にしてくれる人に好意を抱くのだろう。
日本軍は現地の人達にできる限りのことを尽くしたという。
逆に悪感情を持っている人達には厳しくなる。
日本の世界遺産登録にイチャモンをつけた国を好きになれない。理屈じゃ無い悪感情が駆け巡る。
そして今日、7月16日は中越沖地震から8年。
確かに存在した「時」が流れてゆく不思議を感じる。
復興の祈りを形にと、大晦日の夜に108発の花火を上げようとした想いも、今は懐かしい思い出となっている。
黙祷。
写真は窓が無いセスナから見たパラオの島々。
山形のサクランボ
今年もまた山形の友人からサクランボが届いた。
家庭用に作っているものらしく、特別に甘い !
彼が新潟大学探検部にいた頃、熱気球を作って空を飛びたい夢に駆られた何人かが、庭にあった「日本熱気球会館」に泊まり込んでいた。斉藤君はそのリーダーで、30年以上になる昔のことを思いだし、この時期になると美味いサクランボを送ってきてくれる。
嬉しい話だ。
当時、俺は「酒乱性人生論」を説き、多くの人を惑わせていた。
曰く、動物の中で酒を飲むのは人間だけだ。家族も仕事もホゲ出して酒に狂うのは崇高な人間の行為なのだと。
だから、酒を飲まぬのは「人間じゃねぇのよ」と大学生達に説教を垂れていた。
中でも、京大生の多くがとち狂っていったのは俺の誇りだった。
みんな偉くなったけれど・・・。
過ぎた過去を思い煩らい、まだ来ぬ未来に右往左往するのも、他の動物とは違う人間の特性というか馬鹿らしさなのだが・・・。
最近、体調も戻り、少しづつ酒が飲めるようになってきた。
生ビールで始まって熱燗を楽しみ、最後は養命酒で締める。
養命酒をブランデーグラスで飲んでいると、これがまたカッコいいのだ !
梅雨入り
窓に来て嗤うは誰ぞ蛍一匹 草風
海淡く御仏参らす岬かな 草風
昨日は岬館の親爺の葬儀で些か気が滅入っていて、今日も元気が出ない。梅雨入りのせい、なのかも知れない。
遠くで雷鳴が聞こえ、ベッドに潜り込んで仕方なしに「文春」を眺めていたら、石原慎太郎と佐々敦行の対談に目が行った。あまり好きなタイプじゃ無いので読み飛ばしていたらしい。
中に、信長の「敦盛」
「人間五十年 下天の内にくらぶれば 夢幻の如くなり
一度生を受けて 滅せぬ者の有るべきか」
あまりにも有名で、自分も好きな言葉(小唄)だけれど
安吾が引用している小唄として石原が紹介しているのが
「死のふは一条、しのび草にはなにをしょぞ、
一定かたりをこすのよ」
というのがあるという。
「人が死んだ後にみんな勝手なことを言いやがるが、
死んだ人間にはバカみたいな話だ」という意味らしい。
信長と安吾らしい。
秀吉の辞世はバカ有名な
「露と落ち露と消えにし我が身かな
難波のことも夢のまた夢」
だけれど、少し作りが多いようだ。
人は生まれ、人は死ぬ。他に何があるわけでは無い。
鯖石川の堤防が、最近は最愛の散歩コースになった。
八石の山を眺め、黒姫を拝み、時により苗場が遠望出来る。
終焉の地を故郷小千谷に定めた詩人西脇順三郎が、山本山を散歩するのをこよなく愛したという話を思い出している。