雪の中で
人間の世界では、今日は大雪。
こんな程度の雪、昔は大したことななかったんだよね。平気の平気。
3年続きの大雪の頃、一晩に2メートルも積もられると、寝た方が勝ちみたいになるんたけれど・・・石塚修の「雪援隊」はメジャーな「雪堀隊」だった。
、近隣で雪下ろし、雪堀で困った独居老人宅、病人のいる家、障害者がいる家などの屋根の雪下ろし、玄関の雪除など、みんなに喜ばれた。
「雪援隊」は職人達は建具職人、屋根屋に板金屋、とにかく冬に仕事の切れる仲間に声を掛けると30人は軽く集まる。困った家から雪下ろしを進め、夕方まで精一杯やって疲れ果てて帰ってくる。
自宅の、旧森林組合事務所跡はそのまま「酒盛り部屋」に大変貌。毎日雪との戦いから戻ってきては、楽しい一日を語り合って、ふらふらしながらそれぞれの家に帰って行く。
明日のために・・・。
大雪は難儀だったが、楽しくてしょうがなかった。
まさか、その酒盛りの場所に「パソコン村」が出来るとはなぁ。
春になって、多くの人達から「ありがとうの言葉と山菜」を貰った。嬉しかった。
朝日新聞、1988年の元日号に見開き2ページで特集が組まれ、通産省や局にその新聞と雪中梅、寒梅をもって「柏崎ソフトパーク」の売り込みに回っていた。
今井市長の命令で「ソフトパーク構想」を実現化するために、小林進は休みのたびに我が家に出かけ、森林組合の中に創られた「パソコン村」のパソコン一台のKISSNETホスト局を朝から晩まで眺めていた。「構想」が形作り始めたのだろう。夕方は夢を語り、酒を飲んだ。懐かしいなぁ・・・。
ここまで書いて、涙が止まらなくなってしまった・・・。
あの頃、市役所の小林進さんとかけずり回った頃が懐かしい。あれからまだ20数年、コンピューターの世界がこんなにも変わってしまうなんて・・・コバちやん、墓の中からでもいい、二人で夢見た世界を見ているか ?
俺は最近、少し疲れが出てきた。こんど墓の前で酒飲みながら、愚痴らせてくれ。もう一度、あの頃の夢を熱っぽく語り合える小林進に会いたい。コバがいた。高来さんがいた。NECの人達、県内外の大勢の人達、みんないなくなったが、でも俺の周りには集まってくれる。話たいなぁ・・・。
ワルサ古稀の時代
この3連休は青空に陽が差したり、猛烈な降りになったりと軽い狂気のような天候が続いていたが、今日は鉛色の空で朝から雪が降り止まない。
ピアノ名曲集を聴きながら、浅田次郎を読みながら、雪景色を楽しんでいる。先人達はこんな時に「雪見酒」と洒落ていたのだろうが・・・。
過ぎ去りし時の中を漂い、俺は何をしてきたのか、何を目標に生きてきたのか、呆然としながら自分に問い掛けている。人生の何たるかにも思い至らず、ただ惰性で生きてきたような悔いが残る。ただ、だったらどうしたら良かったのか、それもそれも想い浮かばない。本当の愛情も、優しさも、為すべき目的もないままに、ただ走り抜けてきた人生を振り返り愕然としている。
今年は古稀を迎える。
「冗談だろう ! 」と他人(ひと)に言われる前に、自分で納得出来ないでいる。
若者までいかずに、子供のような自分の幼稚さだけが目立ち、年齢を重ねた渋みも何もない。それもいいのだが、今更仕方ないのか・・・。
写真は高柳・じょんのび村付近。
夕刻の一瞬、黒姫に沈む夕陽が撮れた。
初日の出
新しい年が始まった。
2年参りで朝が遅かったが、窓から八石から上る初日の出を拝むことが出来た。
午前中は実家に年始の挨拶。午後からは上加納集落の合同新年会。今年は当番だけど大不調で乾杯から脱出。
新年度、これじぁたいへんだと思っていたら、実は先ほどのNHKスペシャル「目指せ! ニッポン復活」を見ていたら元気が出てきた。
週刊誌には「ディストピア」が流行っていて「夢見るアホー」状態だがそんな時代だけではないのだろう。
要は、簡単に言えば「前を向いて生きている」人たちには本当の未来がくる、そんなことかな。
気分的に「鬱状態」が続いていたので、この休みの感に平常に戻しておかなければならない。その点ではNHKは素晴らしかった。もう一度「躁状態」に元競らなければならない。
仕事の忙しさにかまけて、何かをじっくり考えることをしてこなかった。精神の解放も必要だ。遊ぶぞ。
冬の入り口
12月も半ばを過ぎて、気圧配置も身の回りの雪景色も様になってきた。八石の山に綿雪が掛かり、何なとも言えない優しげな八石が姿を見せている。鯖石の宝物だよね。
この後は、付記も真剣勝負で降るから、今度は生活との勝負だ。本格的な冬の来週かな。
18日、社員の義理の母親のお通屋に行ってきた。
仏は90歳、しかし祭壇の花や普段の設営なから不思議な光を宿していた。
お通屋の会場に入った時、祭壇全体が、優しい人柄のオーラを会場いっぱいにまき散らしていた。不思議な光景だった。
よく見ると、祭壇の遺影は40歳の頃の匂い立つような美人。みんなが「綺麗な人だったんだよ」と言っていた。
その遺影のせいか、会場には優しさが流れ、今まで経験しなかった「お通や」に参加できた。
葬式の写真は、年食った写真より、「ブイブイ」言わせていた頃の方が、やはりいい。
年寄りを送るのではなく、精一杯に生きた人の「若い頃の思い出」を送ることが出来た。いいお通やでした。