秋の香り

2011年10月11日 風の戯言


 空に薄雲が流れ、山が霞んでいる。
 庭に金木犀が香り、早くも枯れ葉が落ち始めた。

 柏崎が好きで、たま鯖石は格別で、時が流れて行く。

 ここで秋の空を眺めていると、ギリシアの金融危機も、政治の世界も遠く霞んで見える。ただ東北の苦難は人ごとに思えない。沖地震で、柏崎もあの世界だったのだと思う。

 一日、平穏に過ごせる有難さを噛み締めている。

ララのテーマ

2011年10月09日 風の戯言


 夏の疲れか、仕事の祟りか、先週はエンジンの調子が悪く、それでも2夜の楽しい飲み会を過ごさせてもらったが、週末は熱っぽくダウン気味。
 3連休は倅も帰ってき、バイクでトンヅラした婿さんは悔しがっていたが、家族4人プラス1が集まり、連休を楽しんでいる。
 老体は布団の中か、田圃の真中にチェアーを持ちだし、秋風を感じながら空と雲と山を見ている。黒姫山はかすみ始めているが、それがまたいいのだ。
 
 10日は能生までカニを齧りに。長福丸は随分と昔鯨波の売店で顔なじみだった人の一族。親戚一同、みんないい顔をしていて、何となくうれしい。いいおやじだった。

 深夜、またCDを聴いている。「ドクトル・ジバゴ」の「ららのテーマ」が大好きで繰り返し繰り返し聴いている。今でも記憶の中でオマーシャリフが動き出している。時代が大きく動き出す時の、運命に翻弄される不条理とそれを超えた愛の世界に感動していた。1965年の作品。忘れられない。

 何日振りかでパソコンに向かっている。
 また明日から戦争に戻ろう。

ヤマトの国、麗し

2011年09月29日 風の戯言


 毎年、稲刈りの季節の半ばになると体調が崩れる。隣に農協の大きな乾燥施設が有るからなんだが、自分が建設業の現役時代、直接現場指揮したことから苦情も言えないでいる。防音、防振装置はつけて貰ったのだが・・・粉塵は避けられない。南無阿弥陀仏、だね。

 秋の天気が素晴らしく、お昼休みは善根の田圃の真中でチェアを出して日光浴。少し暑すぎたけれど・・・。

 夕方は結論の出た「ぶどう村」に、何時ものように散歩。建物の取り壊しが始まったようだ。乞われたままに社長になるべきだったのか、最後に財務の破壊が見つかった時点で柏崎市に継続の最終判断を求めたのが良かったのか。間違いはなかったと思うが、どこかで叫び声が聞こえる。

 黒姫と米山の間の山々が夕霞に沈み始め、2度と訪れることのない「今日」一日の幕が下りてゆく。
 寝静まった夜を、一人50−60年代の懐かしい曲を聴いていると神に感謝したくなる。楽ではなかったが、充実した日々を楽しませてもらったのだと思う。心の底から感謝する、そして、みんな、懐かしい。

老年人よ、大志をいだけ !

2011年09月27日 風の戯言


 老年よ、大志をいだけ! Old Boys, be ambitious !
 老年は自由である。風のように自由だ、と俺は思っている。
 子供達は自分の人生を歩き始め、妻には見放された。考えてみれば飯を作らせたり子を産ませたりと随分勝手な使い方をしてきた。だから「もう、嫌だ」と言うのも理解できる。  
 しかし、ここで怯んではならない。まして自己嫌悪に陥ったら敵の思う壺だ。そして、ここからが大事なのだが、健忘症とか、耳が遠いとか、自己責任に馴染まない神の領域が待っているのだ。此れを戦略的に駆使できれば再び自由を獲得する日は近い、のだ。

 老年は幸せである。少なくとも「幸せだ」と考えるべきだ、と俺は思う。
 一応老年の定義を「還暦」とすれば、そろって「戦前・戦中・闇市時代」の生まれということになる。子供の頃は貧しく、殆ど縄文時代のような毎日を送り、やがて輝くような高度成長期を経て、今また落日を迎えている。しかし、多難な時代だったとは言え、世界史的にも例のない「幸せな時代」をこの国で生きることが出来た。真面目に努力すれば必ず報われる、そんな時代が、そんな国が他の何所にあったのか。 前世代は赤紙一枚で努力も、才能も、未来も全てチャラにさせられ死地に送られた。そんな不条理から比べたらトンでもない幸せな世代なのだろうと思う。
 
 また若い人たちを羨ましいとは思わない。「暗闇」を知らない世代は明るく陰影がない分、人生のヒダ、味わいを知らないのではないかとさえ思うこともある。人生の尺度として比較しようもないが、「夢」を持てたし、プロジェクトXもあった。自らの力で手にした鳥肌の立つような感動を記憶の中にいくつか残している。

 今、未来が見えないから不安だと言う。
 しかし、老人は自由である。いや、自由になれる、と俺は思っている。
 リタイヤし初めて本当の人生があるのかもしれない。妻子を養い会社の発展を願い、時には媚を売り、時には人を裏切り、時には胃袋の裏返るような酒も飲んできた。誰にも本音が言えず、「もっと違う人生」を夢見て流れる雲を眺めていたこともあった。

 我々に残された時間はもう少なくなっている。どう考えても、残り僅か50年。そんなにないかも知れないが、元気でさえあればもう一勝負は出来る。車と同じで、人間も長持ちするようになった。人生50年が平均寿命80歳になった、とすれば6掛けの人生なのだ。70歳は気持ちも身体も昔で言えば42歳。まだまだ若い、のだ。でもあんまり調子に乗ってこんな話をしていると役人が飛んできて、年金の支給年齢を上げたり老人税を取ろうとしたりする。

 子供達にも注意しよう。「可愛いでしよう!」なんて催眠術懸けられて孫をあやしている場合じゃねぇぞ、って言いたいね。孫を預けて夜中まで遊んでやろうってんだから性質が悪い。皺を伸ばし、ダイエットし始めたら女房も完全に敵方に寝返ったと見て間違いない。
 「気を付けよう、暗い夜道と古女房」

 で、結論。老人よ、大志を抱け!
 ここまで言えばいくらお人好しでも次の行動は見えてきただろう。そう、財産持って逃げ出すことだ。少しの期間でもいい。精々1週間くらいでいいけど自分が何者でもない、知らない土地で自由に過してみるのもいい。痴呆症と間違えられ、強制送還が落ちかも知れないが、一度自由を味わった心と身体は一味違った精彩を放ち、違った人生を与えてくれるに違いない。残り僅かな時間しかないが、黙って風雪に晒してしまうこともないだろう。

 人生は不思議だ。願ったことは実現するし、時には天候すら味方をしてくれる。しかし、願わないことは何も実現しない。どんな時にでも前向きに生きる、ってことは素晴らしいことなのかも知れない。
 健忘症という、個人の責任に属さない神の領域を楽しもう!

 (何年か前の原稿を多少手を加えたものです。あしからず)

人生は全てが夢の中

2011年09月26日 風の戯言


 漢字変換がスムースに出来ない。苛立ちながら深夜のCDを聴いている。気が付けば、懐かしく心の深い所を抉るような曲が続く。昔の曲はどうしてこうも切なく心に響くのだろう。
 何日か前から、6人の姉・兄達と電話や顔を見て昔話をしている。みんな元気で嬉しい。
 自分の両手両足にある火傷の痕を誰も教えてくれなかったけれど、明子姉と電話していて初めて柏崎田町の家で薬缶をひっくり返して大火傷を負ったことを知った。母親が俺をおぶって近くの高桑医院に駆け込んだ、との話も初めて聞いた。嬉しかった。母親が急に身近になった。死に別れてもう65年になる。優しくなれる、とてもいい日だった。ありがとう。

45年振りの旧友や初期の頃の気球の仲間、高校の頃成績では絶対にかなわなかったクラスメートなど涙の出るような会話が弾む。
 暫く仕事に行き詰まっていたせいか、何かが見え始めた「今」が嬉しすぎるのか、今生の別れの様な気持で夢中で話している。俺の青春の勲章たち。みんな近いうち会いたいね、言ってくれる。嬉しいね。

 俺の中で、何かが急に変りだしている。突然、死が訪れるわけでもないだろうが懐かしすぎる。
 考えてみれば、ここ何年か雲の中を突き進んでいたようにしか見えない。青空は、また戦闘の舞台でもあるのだろうが…かかってこい !