八石 釈迦涅槃像の山
明日から4月だというのに、風はまだ冷たい。
真冬日?は例年と比べて3倍ほど多いのだとか・・・東日本大震災、福島原発放射性物質漏れ範囲拡大なと・・・最悪。
自分の経済的未来の背景が見えなくなっている。後ろを向いたら終わりなんだが・・・。人間はどんな時代も新しい未来を創ってきた。それを信ずるより他なさそうだ。
昨日は町田、高橋、村山3顧問と4月入社の村山営業企画担当顧問を迎えての経営研究会を開催した。メーンは高橋顧問の「予測管理」。いろいろ考えさせられる事が多かった。早速経営企画に取り入れようと思う。
今日は村山営業担当顧問と同業者に入社前日の挨拶回り。明日は新年度の挨拶を兼ね、市内、長岡のお客様を回る予定。
小山先生から信仰を集めた八石山の釈迦涅槃仏の写真を送ってもらった。以前から話には聞いていたが何処から見たら素のように見えるのか、良く解らなかった。
長い間の謎が解けたようで嬉しい。
春はまだ遠いのか・・・
地震に身も心も押し潰され、会社とじょんのび村に逃げた。逃げて、済まされる事態ではないのだが・・・。
感情の制御が出来なくなり、越後タイムス吉田前主幹が亡くなられた電話を貰い、その場で声が出なくなってしまった。24日葬式の日は秩父に武藤さんを尋ねる予定だったがまたの機会に伸ばしてもらう事にした。
越後タイムス4000号記念のとき、祝いの随筆を載せて頂いた。柏崎の文化人として特別な人で、多くは酒の間の話題の中でいろいろな事を教えて頂いた。師と呼ぶには弟子の出来が悪すぎるけれど、尊敬する最高の人だった。
時代が移っていくのを実感している。
春のお彼岸は、かつては「風船一揆」で夢中になっていた時期。長い冬が終わって、雪国にやっと春が来る。そんなイメージを爆発させる雪上の春祭りだった。空に無数の熱気球が舞い、雪原ではグループが持ち寄った思い思いのイベントに笑い声が弾けていた。
年度変りも間近な、多忙な季節が始る。
多くの事を胸の奥に仕舞い、明日からは楽しく、真剣な仕事に戻る。
東北地方太平洋沖地震
巨大な東北地方太平洋沖地震に見舞われ、出張組の安全な帰宅だけを祈り続けていた。仙台に2人、東京が2人、佐渡は3人、金沢が1人。
金沢は20;15に帰社、佐渡組が津波対策で新潟港に入れず沖合い待機、それでも越後線が動いていた為24;00には無事帰社。お疲れ様。
仙台組は新幹線を下ろされ避難所に。東京組は公園野宿を覚悟したけど深川の避難所に辿り着き安堵。
12日、東京組は新幹線で名古屋へ、名古屋から長野経由、16時15分帰社。
仙台組は幸いにタクシーに巡り会い福島へ脱出。救出に向ったチームに合流でき、18時30分無事帰社。
歴史的な大地震に出張先で遭遇し、兎に角無事に家族の元に戻る事が出来、ホッとしている。
情報産業に携わりながら、電話も携帯も使えない状況は疲れるものだ。社員全員は無事だったが、状況が確認できていない顧客の数はまだ多い。
少しづつ通信が回復してきたら、顧客と連絡を取り、なにか出来る事をしたい。
単にそれは中越沖地震の御礼お返しではなく、同じく難に合った人たちに少しでも頑張る勇気の種になってくれればいい。
夢に描いた生活設計も、職場も、町の仲間も皆消えてしまった時、俺ならどんな生き方が出来るだろう?
社員が皆無事に戻れた嬉しさと、被災地の、人生を突然閉された人たちの人生の軌跡を考えると、また自閉症のような精神状態になってくる。希望や努力を閉そうとする奴がいたら生かしちゃ置かないが、相手が自然災害になると、只無力の世界に堕ち込んでしまう。
書斎の窓を開けて、月が西の山に沈み<まだ雪の残る青白い中天に、凍った星達がか煌いている。 誰から信頼されるわけでもなく、誰一人勇気付ける事が出来るわけでもなく、時間を浪費しているだけの自分に嫌気が差している。 旅に出たい。