清津峡

2007年08月13日 風の戯言


 清流が見たくなって清津峡を訪ねた。
 50年振りになる。十日町の松岡に案内されて、高校生の頃川沿いの道を歩いた覚えがある。事故以来スリル満点の遊歩道はトンネルに代わり、途中の4ケ所から大自然の展望が楽しめる。
 1600万年前から1300万年前に海底火山の堆積によると言われる頁岩が見事で、地球の歴史がむき出しで話しかけてくる。時間と言う圧倒的な凄さを有無を言わさず納得させられるようで、スカッとする。
 46億年の中の1600万年前なんて屁みたいなものだが、人間の存在なんて・・・気が遠くなってくる。

 人間の存在なんて、別に大した意味も無く、思い悩んで身動き取れなくなる程のものでもなく、だからと言って只虚無で生きることではなく、その無意味さを知って今日一日を楽しむ。戦国武将の美学が理解できそうになる。が、もっといい加減に生きてもいいんじゃないかな・・・・。

地震後 1ケ月

2007年08月11日 風の戯言


 地震後1ケ月が経とうとしている。
 街中はまだ倒壊した家屋の無残な姿が
 7月13日午前10時13分のまま時間を止めている。
 日中の暑さに、気がついてみればもうお盆。
 立秋が過ぎていた。
 何故か突然に島崎藤村の「初恋」を思だされた。
 50年も前の、掻き毟られる様な詩の感動が蘇る。
 何故だろう?

「初恋」

  まだあげ初めし前髪の
  林檎のもとに見えしとき
  前にさしたる花櫛の
  花ある君と思ひけり

  やさしく白き手をのべて
  林檎をわれにあたへしは
  薄紅の秋の実に
  人こひ初めしはじめなり

  わがこゝろなきためいきの
  その髪の毛にかゝるとき
  たのしき恋の盃を
  君が情に酌みしかな

  林檎畑の樹の下に
  おのづからなる細道は
  誰が踏みそめしかたみぞと
  問ひたまふこそこひしけれ

 なんという美しい日本語だろう!

「小諸なる古城のほとり」

  小諸なる古城のほとり 雲白く遊子(ゆうし)悲しむ
緑なすはこべは萌えず 若草も籍(し)くによしなし
しろがねの衾の岡辺  日に溶けて淡雪流る

あたゝかき光はあれど 野に満つる香も知らず
浅くのみ春は霞みて  麦の色わずかに青し
  旅人の群はいくつか  畠中の道を急ぎぬ

  暮行けば浅間も見えず 歌哀し佐久の草笛
  千曲川いざよう波の  岸近き宿にのぼりつ
  濁り酒濁れる飲みて  草枕しばし慰む

  「千曲川旅情の歌」
    
  昨日またかくてありけり 今日もまたかくてありなむ
  この命なにをあくせく  明日をのみ思ひわづらふ

  いくたびか栄枯の夢の  消え残る谷に下りて
  河波のいざよふ見れば  砂まじり水巻き帰る

  鳴呼古城なにをか語り  岸の波なにをか答ふ
  過し世を静かに思へ   百年もきのふのごとし
  千曲川柳霞みて     春浅く水流れたり
  たゞひとり岩をめぐりて この岸に愁を繋ぐ

 突然に2度と帰ることの無い15の頃を思い出している。
 俺はどうかしているのかも知らん。

今私に出来ること

2007年08月08日 風の戯言


 KOKIAなる歌手のことは余り知らない。
 何故この人が柏崎で歌っていたのかも知らない。
 多々歌の題名に感動した。「今私に出来ること」
 そうなんだ。いろいろと考え込んで結局何も出来ずに部屋でため息をついているより、誰か何か言ったとしても自分の人生の時間を熱くするのは自分だけだ。

 今日、天皇皇后両陛下が柏崎に見舞いに来てくださいました。高齢で多忙で重い荷物をしょったお二人が柏崎に来られた事の意味は大きいと思う。

 安田の田圃は暫らく前から色づいている。
 本当に、時間は確実に動いていて、もう直ぐお盆になる。
 一年が速すぎて、何か大きなことがあり過ぎて一度に年を重ねたような想いがする。

 まだゆとりは少ないようだ。

地震後3週間

2007年08月05日 風の戯言


 地震後3週間になろうとしている。
 怒りから虚脱に向かい、少し根性を出して街中を回る。
 古き良き時代の柏崎の建物が根こそぎ消滅し様としている。都市文化を語るのに町並みの景観と人が大事になるのだろうが・・・。何にもなくなってしまった。

 東伝の調査と方針決定から補修工事、検査名と背をひっくるめると2年くらいはかかるのかネェ。その間福島は定見をしてられないから、ていけんさぎょういんはとうぶんしごとなし!

地震後2週間

2007年07月30日 風の戯言

 激しい怒りから底の見えない落ち込み、ジェットコースターのような感情の起伏が少しづつ落ち着きを取り戻してきた。なるようにしかならないと言う諦めと、きっと何処かで反転するだろうと言う自分への希望。
 いろいろな感情がごちゃ混ぜになって2週間が過ぎた。
 倒壊した家の取り壊しや片付けが進み、町は又違った様相を見せ始めた。生活の再構築が出来ないまま困惑を隠せない人たちも多いと言う。
 後ろを振り返っている暇も無い人たちもいる。
 やがて町は時間と共に蘇っていくのだろう。